2005年3月31日

2005年3月

レッドソックス優勝の予言 05/3/31
プレイエルのピアノ 05/3/29
ベルンの奇跡? 05/3/29
スコッティ・バウマン・カップのことなど 05/3/25
アンドレイチャクの決断 05/3/22
「プライド 栄光への絆」 05/3/17
「ウィンブルドン」と「コンペティション」 05/3/16
「ラヴェンダーの咲く庭で」 05/3/14
セイバーズの小ネタ 05/3/11
ティム・ホートン 05/3/11
セイバーズ選手の近況3 05/3/10
不幸と災難てんこもりの映画 05/3/4
1919年のインフルエンザ 05/3/1


レッドソックス優勝の予言 05/3/31

 昨年秋、86年ぶりに優勝を果たしたボストン・レッドソックスだが、その優勝を予言した映画を見てしまった。
 タイトルは「50回目のファースト・キス」。1年前に事故で記憶障害に陥り、夜、寝ると、朝には事故のあとの記憶がすべて消えている女性(ドリュー・バリモア)と、彼女に恋した水族館の獣医(アダム・サンドラー)のロマンチック・コメディ。前日の記憶が消えてしまう彼女に、毎日、最初の出会いを繰り返すサンドラーが、彼女のために作った、過去1年間の世の中の出来事を記録したビデオ。そのビデオの中にレッドソックスの優勝が登場し、そのあと、字幕で、「冗談だよ」と出る。
 この映画はアメリカでは昨年春に公開されたから、秋のレッドソックス優勝は未来のことだった。レッドソックスはとにかく、プレーオフでヤンキースに勝てず、長年優勝できないチームとして有名だったのだ。
 映画の最後には、ごていねいに、レッドソックス優勝のジョークは誰と誰に捧げます、と書かれている。
 スポーツの優勝を予言した映画としては、阪神タイガースの優勝を描いた「ミスター・ルーキー」が有名だが、こちらは映画の公開から現実の優勝まで1年半かかっている。しかし、「50回目のファースト・キス」は、半年で優勝の予言が実現してしまったのだ(「冗談だよ」のおかげか?)。
 日本ではこの映画、6月公開予定。レッドソックスが優勝する前に公開してほしかったと思う。


プレイエルのピアノ 05/3/29

 リュック・ベッソン脚本の映画「ダニー・ザ・ドッグ」を見た。幼い頃から殺し屋として育てられ、ボスの犬のようになっている男が盲目のピアノ調律師と出会い、人間として生まれ変わっていくという物語。ベッソンが監督した「ニキータ」や「レオン」の流れを汲む作品だ(監督はルイ・レテリエ)。
 フランス映画なのだけれど、舞台はイギリスのグラスゴー。主役は中国出身のジェット・リー。ボスはイギリスのボブ・ホスキンス。ピアノ調律師はアメリカのモーガン・フリーマン。もちろん、せりふは英語。ピアノ調律師は、亡き妻の連れ子である娘(ケリー・コンドン)がグラスゴーの音楽学校に通っているので、アメリカから移住してきているという設定。だから、表向きにはフランスはまったく関係ない映画である。
 しかし、この映画に登場するピアノはプレイエル。フランスの有名なピアノだ。
 現在では、クラシックのピアニストが演奏するピアノはほとんど、スタインウェイである。リヒテルはヤマハを弾いていた、なんていうのは珍しい例。大きなホールでガンガン弾くには、スタインウェイのような強いピアノでないとだめ、なんだそうだ(ついでに言うと、ヤマハも強いそうな)。
 プレイエルは、あのフランスを代表するピアニスト、アルフレッド・コルトーが弾いていたピアノだという。スタインウェイ全盛の今と違って、昔はいろいろなメーカーのピアノが弾かれていたのだろう。今でももちろん、さまざまなメーカーのピアノがある。ベストセラーになった「パリ左岸のピアノ工房」を読むと、プレイエルをはじめ、さまざまなピアノのメーカーの名前が出てくる。
 さて、「ダニー・ザ・ドッグ」だが、「ニキータ」や「レオン」に比べると見劣りするものの、フリーマンとホスキンスという2大名優のおかげで見応えのある映画になっている。ジェット・リーは「少林寺」の頃から知っているので、ずいぶん年をとったと思うが、それでも無垢な表情がこの役にぴったりである。


ベルンの奇跡? 05/3/29

 近日公開の映画、「ベルンの奇蹟」は1954年のドイツのワールドカップ優勝の物語だそうだが、セイバーズBBSにはこのところ、ベルンのファンが次々と書き込みをしている。
 前にも書いたように、スイスのホッケー・リーグのベルンは、セイバーズのブリエア、デュモン、タリンダーの活躍でプレーオフ1回戦を勝ち抜いた。2回戦では、残念ながら敗れてしまったが、今季のベルンはディフェンディング・チャンピオンだというのに、まったくふるわず、ぎりぎりの8位でプレーオフ進出という状態だった。そのベルンが1位のチームに快勝、このまま勝ち進んで優勝でもしてしまったら、まさにベルンの奇跡だったのだ。
 ベルンがここまで来れたのは、ひとえにブリエア、デュモン、タリンダーのおかげ、と、ベルンのファンは思っている。「ブリエア、デュモン、タリンダー、ありがとう」「私たちは決してあなたたちを忘れない」といった、ベルンのファンの書き込みがセイバーズBBSをにぎわしている。
 特に、明るく親しみやすい性格のブリエアは大人気。スキャンダルでスウェーデン・リーグを追われたタリンダーも、ベルンで暖かく迎えられ、感激しているようだ。
 ロックアウトのせいでヨーロッパに渡ったNHL選手は多いけれど、必ずしも活躍した選手ばかりではない。手抜きしているのかと思われる選手、ヨーロッパ流のホッケーになじめず、問題ばかり起こしてひんしゅくを買う選手もいる中で、セイバーズの3人は全力でプレーしたようで、ベルンのファンは感謝しまくり。「どんなに感謝しても感謝しきれない」なんて言うファンもいる。
 北米のセイバーズ・ファンは、リーグの現状よりも自分たちの年俸のことばかり考えているようなNHL選手に対して非常にきびしく、ヨーロッパへ出稼ぎに行った選手のことを「スト破り」と呼んで、彼らの活躍にはほとんど興味を示していなかった。それでも、ベルンのファンの書き込みには、「これで外国にもセイバーズ・ファンが増えた」と、まんざらでもない様子だ。


スコッティ・バウマン・カップのことなど 05/3/25

スコッティ・バウマン・カップ
 バッファローのHSBCアリーナの氷を青に、ブルーラインをオレンジにしたセイバーズが、またまた新しい企画を立てた。かつてセイバーズのヘッドコーチだったスコッティ・バウマンの名前を冠したカップ戦が4月15日に行なわれる。
 選手はバッファローとロチェスターの中学高校生。中学生の部と高校生の部に分かれて2試合行なわれる。コーチはセイバーズGM、HC、選手OBなど。入場料、駐車料金は無料、ということで、オーナーの地域貢献活動の一環か。昨年12月のラフォンテーヌ主催のチャリティOB試合のときは、集まったお金と同じ金額を寄付したというオーナー。こういう活動は得意なのね。

ヨーロッパ・リーグのプレーオフ
 金にまかせてNHLのスター選手を集めまくり、ロシアのレンジャーズと言われたカザンが、なんと、プレーオフ1回戦敗退。しかも、あやうくスイープされるところだった! 船頭多すぎて船山を登るってことだろうか???
 セイバーズのアフィノゲノフのいるモスクワは無難に2回戦に進んでいる。
 ブリエア、デュモン、タリンダーのいるスイスのベルンは、2回戦でソーントンやナッシュのいるダフォスに大手をかけられていたが、22日の試合に勝ってなんとか踏みとどまった。24日の第6戦のチケットは11分で売り切れたという。ソーントンは反則のため、2試合出場停止中。
 スロバキアのブラティスラバのシャターンは、2回戦の試合でハットトリックを決めた。

アマークスの暗雲
 13日にプレーオフ進出1番乗りを決めたAHLのアマークスは、近ごろ、暗雲がたちこめている。デレク・ロイとジェフ・ピーターズが脳震盪、ほかにもケガ人が出ている模様。20日の試合はバッファローで行なわれ、青い氷とオレンジラインが話題になったが、見た人によると、アマークスはあれでよく勝った、というようなへろへろ状態だったらしい。ミラーのシャットアウトで勝ったようなものなのだろうか。
 13日の試合ではヴァネクがハットトリックを決めた。直前にオーストリアのテレビがヴァネクの取材に来ていたのだが、この試合の前に帰ってしまったのだとか。


アンドレイチャクの決断 05/3/22

(以下は、ESPNのサイトにジム・ケリーが書いた文章の一部を訳したもの。)

文・ジム・ケリー(2004年6月8日)

 かつて2人がバッファローのチームメイトだった頃、今はライトニングのアソシエート・コーチをつとめるクレイグ・ラムゼイは、ものごとは常に見かけどおりとは限らず、ホッケーの究極の栄光を手に入れるチャンスはめったにないということを、デイヴ・アンドレイチャクに話した。
「結局、私がカップに近づけたのはただ一度だった」と、バッファロー・セイバーズで14年間の選手生活を送ったラムゼイは語った。「入団して4年目に(1975年)ファイナルに進んだが、優勝はできなかった。しかし、セイバーズは若くて優秀なチームだったから、またファイナルに出られるといつも思っていた」
 しかし、それは二度と起らなかった。
「大勢に言ったよ。チャンスがあったら、何が何でもそれをつかむんだ。もう一度チャンスがめぐってくるかどうかはわからないんだから」
 アンドレイチャクはNHLで22年プレーしたが、今季、初めてスタンレーカップ・ファイナルに出場した。彼はラムゼイの言葉を覚えていた。
 2人は一緒にカップに名前を刻むことになった。
 アンドレイチャクには長い道程だった。トロント・メイプルリーフスでは1993年にあと一歩でファイナル進出を逃した。ニュージャージー・デビルズに来た年はチームが最初にカップを取った翌年で、次のカップを取る前年に彼はチームを去った。2000年に友人レイ・ボークとボストン・ブルーインズからコロラド・アバランチにトレードされたが、オフにはそこを去り、ボークは翌年、カップを獲得した。
 ハシェックの時代のバッファローに彼は戻ってきたが、それはセイバーズが1999年にファイナルに進出したあとだった。そこでもファイナルには出られず、彼はタンパベイ・ライトニングと契約した。
 入団したとき、NHLではほとんど最悪のチームだったライトニングで、彼は決断のときを迎えた。ジェイ・フィースターがリック・ダドリーのあとを受けてGMになったあとすぐに、アンドレイチャクはGMから、カップの取れるチームへのトレードをしてもいいと言われた。フィースターは、ここにとどまってほしいが、トレードを望むならそうしてもいいと言ったのだ。
「GMはトレードしたくなかった。だから、私は残ることにした」とアンドレイチャクは語る。「1年では私の仕事はまだ終わっていない、喜んでこのチームにとどまるよ、と彼に言った。ライトニングで1シーズンすごして、最後にすばらしい成果をあげることができたと思ったんだ。プレーオフには出られなかったが、チームは懸命にプレーし、来季への望みをつないだ。ここにとどまってよかったよ」
「デイヴはカップが取りたかった。だが、自分だけのために取りたかったのではなかった」とラムゼイは言う。「それはチームメイトのためだった。一緒にプレーしたすべての選手のためだったのだと思う」
 その中には、遥か昔に夢をあきらめるなと言った元チームメイトであり、今、一緒にスタンレーカップに名前を刻むことになったラムゼイがいることだろう。

(アンドレイチャクがタンパベイ・ライトニングに入って1年目に、カップの取れるチームへのトレード話があったことを、私はこれまで知らなかった。それはちょうど、ハシェックがデトロイト・レッドウィングスで「予定通りに」カップを獲得したときだったはずだ。1シーズン前、ハシェックは確実にカップを取れるようなトレードでセイバーズからレッドウィングスへ行き、落ち目のベテランにすぎないアンドレイチャクはセイバーズを解雇されてライトニングと契約したのである。それでも、アンドレイチャクのようなキャリアの持ち主であれば、カップを取れそうなチームで世話してくれるところはあっただろう。しかし、彼はライトニングを選んだのだ。)


「プライド 栄光への絆」 05/3/17

 「プライド」と言っても、格闘技でもホッケーでもない。テキサスの高校のアメフト・チームの実話。地味だが、非常にいい映画である。
 だだっ広い荒野に石油の掘削機があるだけの町で、人々の楽しみは優勝経験が何度もある高校のアメフト・チームの試合だけ。コーチの年俸は校長よりも高く、住民の期待は高い。だからこそ、負ければ「コーチは町から出て行け」の大合唱。
 選手もさまざまだ。病気の母親を思って進学のことで悩む選手、優勝経験のある父親のプレッシャーに押し潰されそうな選手、そして、けがでプロへの道を絶たれてしまう選手……。
 映画は州大会の決勝戦に向かって盛り上がっていくが、決してただのスポ根映画ではない。映像はとことん渋く、アメリカの底辺に生きる貧しい人々の描写が非常にリアルだ。アメフトは貧しい若者が飛躍する手段であり、奨学金を得て大学へ行き、プロになることを夢見る。しかし、プロになることはもちろん、奨学金を得ることさえ、相当に狭き門だということがわかる。
 アメフトのシーンは迫力満点で、ルールを知らない私でも十分楽しめた。原題の「フライデー・ナイト・ライツ」は金曜夜のカクテル光線のことで、アメリカでは高校のアメフトの試合は金曜日に行われることに決まっているのだという。この高校は立派なスタジアムを持っていて、何もない町にこの施設だけが町のプライドとしてそそり立っている。
 ちなみに、大学のアメフトは土曜日、そして、プロは「エニイ・ギブン・サンデー」という映画があったように、日曜に試合が行われるのだとか。
 プレーオフ進出の決め方や、決勝戦のアストロドームなど、興味深いシーンも多い。スポーツ・ファンにぜひ見てほしい映画なのだが、東京では豊島園でしかやらないらしいのが何とも……。一応、大都市では5月14日から上映予定。


「ウィンブルドン」と「コンペティション」 05/3/16

 シャラポアが試写会に来たとかで話題の映画「ウィンブルドン」を見た。恋と試合は両立するかという内容で、20年以上前に見た「コンペティション」という映画を思い出した。以下、ネタバレありのため、差し支えない人のみ、どうぞ。

 マリア・シャラポアが試写会に来たとかで話題の映画「ウィンブルドン」を見た。
 引退間際の落ちぶれたテニス選手ピーター(ポール・ベタニー)が特別枠でウィンブルドンに出場。そこで出会った、優勝をねらう若い女子選手リジー(キルスティン・ダンスト)と恋に落ち、それがきっかけで大躍進。でも、恋と試合は両立するか、という映画。
 見ていて思い出したのは、もう20年以上前に見た映画「コンペティション」。プロのピアニストをめざす主人公(リチャード・ドライファス)は、何度コンクールに出場しても2位どまり。ついに30歳になってしまい、老いた両親のためにもコンクールは今回で最後にする決意をする。コンクール終了直後に音楽教師としての就職の面接を受けることにして、今度こそは優勝を、とコンクールに参加した彼は、そこですばらしい才能を持つ若い女性ピアニスト(エイミー・アーヴィング)と恋に落ちてしまう。
 テニスと違って、ピアノのコンクールは男女の別がない。だから、主人公とヒロインはお互いに相手と戦うことになる。彼女の際立った才能に、彼はすぐに気づくが、それでも、自分の方が上かもしれないとまだ思っている。だから、恋に落ちても彼は余裕だ。。「私はまだ若いから、彼のために譲ろうか」と彼女が思うと、それを察知した彼は、「そんなことは考えるな」と彼女を叱る。恋は恋、戦いは戦いとして、正々堂々とやろう、と言うのだ。
 コンクールの途中で、あるハプニングが起こる。ソ連から参加していた女性ピアニストの先生がアメリカに亡命してしまい、ピアニストはショックでダウンしてしまう。主催者は彼女のために、コンクールは数日、延期にする。終了直後に就職の面接を受ける予定だった主人公は悩む。結局、彼は就職をあきらめ、コンクールに賭けることにするのだ。
 その後、コンクールは順調に進み、最終選考はピアノ協奏曲。主人公はみごとに自分の選んだ曲を弾ききり、優勝を確信する。そのあと、今度はヒロインがモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏しようとするが、ピアノの音が重くてモーツァルトには向かないことがわかる。彼女はピアノを替えてほしいと頼むが、モーツァルトに合う音色のピアノがない。すると彼女は言う、「それでは、プロコフィエフにします」
 彼女は難曲のプロコフィエフのピアノ協奏曲をみごとに弾く。聴いている途中で、主人公は彼女の勝ちを確信する。

 「ウィンブルドン」では、主人公のピーターとヒロインのリジーは直接対決はしない。お互いに相手を励ましながらプレーすることができる。でも、恋は微妙に2人の心理に影響を及ぼし、リジーは準決勝で敗れてしまう。恋のせいで負けた、と、彼女は怒り、決勝に進んだピーターをふりきって、アメリカへ帰ろうとする。彼女への思いに揺れながら決勝を迎えるピーター、しかも相手はリジーの元恋人、というのがこちらのクライマックス。
 この映画はコメディ・タッチの気楽に楽しめる映画で、ノーシードの負け犬選手がどういうわけか次々と強豪選手を敗って勝ち進み、そこに恋や、家族や友人との触れ合いがからむというほのぼの映画である。だから、いかにものご都合主義の展開でも十分、感動できる。ピーターの抱える負け犬の精神構造みたいなものもよく描かれていて、これじゃあ、負けるよ、というのがよくわかる。演じるベタニーの軽妙洒脱な演技もいい(実は、「ROCK YOU!」の頃からのファンなのだ)。
 でも、負け犬ピーターの大躍進はスポ根ものの王道としてよくわかるけれど、恋のためにリジーが負けてしまうあたりが今ひとつ、描写が不十分なのだ。
 それに対し、「コンペティション」は、自分はまだ若いから、愛する人のために譲ってしまおうか、と思うヒロインの心理や、彼女を励ましつつも自分の方が上と思っている主人公、そして、彼女のすばらしい演奏を聴いて、完全に負けたと感じる彼の心理がきめ細かく描かれている(主人公を演じるドライファスの演技がやはりいいのだ)。
 ここには勝つ者の強さも描かれている。ピアノの音がモーツァルトに合わないとわかったヒロインが、合うピアノがないと知って、プロコフィエフに切り替え、それをみごとに演奏してしまうあたりの、コンクールに勝つことだけに気持ちを集中させて、実際に勝ってしまう者の強さがよく描かれているのだ。主人公が完敗だと感じるのはこのためである。
 「ウィンブルドン」の結末では、結局、2人とも勝ち組になったことがわかる。「コンペティション」では、ヒロインは優勝するが、主人公はプロの道も閉ざされ、就職も逃してしまう。ヒロインは優勝の代償として恋を失ったと感じる。しかし、主人公はピアノでは負けても、決して人生で負けたわけではない。ラストはそのことを感じさせる、少しほろ苦いハッピーエンドだ。


「ラヴェンダーの咲く庭で」 05/3/14

 アカデミー賞受賞の名女優、ジュディ・デンチとマギー・スミスが、1930年代のイギリスの片田舎に住む老いた姉妹を演じる映画。2人とも、映画で有名になったのは年をとってからなので、威厳のある年配の女性の役が多いのだが、この映画では偶然助けた青年をめぐって、年甲斐もなく恋に似た思いを抱いてしまう妹(デンチ)と、彼女を見守る理知的な姉(スミス)の揺れ動く心を、しっとりとした情感あふれる演技で演じている。
 特にデンチの初々しい少女のような表情はすばらしい。もともと、若い頃は舞台で「ロミオとジュリエット」や「十二夜」のヒロインを当たり役にしていた女優だけれど、映画ではヴィクトリア女王やエリザベス女王のような威厳のある役ばかりなので、この映画の演技には驚いてしまった。
 姉妹に助けられた青年はポーランド人で、ヴァイオリニストをめざしてアメリカに渡ろうとしていたことがわかる。やがて、青年の才能に目をつけた若い女性画家が、彼を姉妹から引き離そうとする。
 村には趣味でヴァイオリンを弾いている男がいる。彼はたぶん、クラシックのヴァイオリン教育を受けたのではなく、歌や踊りの伴奏として使われる民族楽器としてのヴァイオリンを習った程度だろう。やさしい曲を素朴に弾くだけのアマチュア・ヴァイオリン弾きである。その彼のヴァイオリンを青年が借りて弾き始めると、それは光り輝くようなみごとな演奏になる。
 素朴なレベルのヴァイオリンと、特別な世界のヴァイオリン。それはそのまま、老姉妹たちの住む素朴な世界と、ヴァイオリニストの青年や女性画家が本来住む特別な世界との対比になっている。ネタバレになるので詳しくは書けないが、クライマックスからラストにかけて、素朴な世界の人々が彼らと自分の世界の違いを知るシーンはせつないほどに胸に迫る。その違いはまた、輝かしい未来のある人々と、田舎で静かに余生を送る人々の間にある大きな溝でもある。
 監督は、俳優のチャールズ・ダンス(初監督作品)。青年役は「グッバイ、レーニン」のダニエル・ブリュール、女性画家は「トゥルーマン・ショー」のナターシャ・マケルホーン。共演のデイヴィッド・ワーナーも、壮年期は個性的な演技で鳴らしたベテラン俳優。家政婦役のミリアム・マーゴリーズもいい。ヴァイオリン演奏は「レッド・バイオリン」でも陰で弾いていたジョシュア・ベル。
 初夏公開予定とのこと。


セイバーズの小ネタ 05/3/11

 選手の近況3で書いたように、ヨーロッパのホッケー界はただ今、プレーオフ真っ最中のようで、スロバキアのブラチスラバもシャターンの活躍でプレーオフの次のラウンドに進んだらしい。スロバキアのチームなのだが、チェコのエクストラ・リーグでのプレーオフだという。
 セイバーズの選手はヨーロッパに行っていた方がプレーオフに出られて幸せなのだろうか、と思わず、皮肉を言ってみたり……。

 AHLでリーグぶっちぎり首位のアマークスは、ホーム連勝記録が17で止まった。そのアマークスは3月20日と4月3日にセイバーズの本拠地、バッファローのHSBCアリーナで試合をすることになっているのだが、アリーナでは氷を青くし、ブルーラインをオレンジにするという試みが行われることになった。センターラインは濃い青になる。
 言ってみれば、カラー柔道着のようなものだろう。テレビの見栄えをよくするとか、NHLの人気拡大のための実験の一部のようだ。
 ちなみに、セイバーズ・ファンの反応は、「リーフス・ネイションの原理主義者が反対するかも」
 リンクの色が変われば、ジャージの色の変更もあるかもしれない。
 実は、しばらく前からファンの間で、現在の赤と黒から昔のブルー・アンド・ゴールドに戻せという意見が多く出ていた。実際、03年に3代目のオーナーが決まったあと、ブルー・アンド・ゴールドの昔のジャージをモダンにアレンジしたデザインがいくつか作られたのだ。
 現在のジャージは初代オーナーの最後の頃に作られたもの。そのため、倒産したアデルフィアの会長だった2代目オーナーのイメージがあるので、その点からも変えてほしいとう意見がある。
 NHLでは、新しいジャージのお披露目はニュージャージー・デビルズとの試合でするという習慣があるらしく(?)、セイバーズは以前、サード・ジャージのお披露目をデビルズ戦で行なっただけでなく、02/03シーズンの最後の試合で、デビルズ相手に昔のブルー・アンド・ゴールドのジャージを着たそうだ(これはオールド・ジャージね)。
 ブルー・アンド・ゴールドはもともと、バッファロー市の色である。
 最後に、リンクの色を変えるというニュースのサイトをあげておきます(写真あり)。タイトルが「ホッケーのブルーウェーブ」ってのが……近鉄とオリックスってわけではないでしょうが。


ティム・ホートン 05/3/11

 セイバーズの永久欠番は4つある。その内、3つは70年代に一世を風靡したフレンチコネクション・ラインの3人、ジルベール・ペロー(11番)とリシャール・マルタン(7番)とルネ・ロベール(14番)。で、残る1つは誰かというと、ティム・ホートンの2番だ。
 言うまでもなく、ティム・ホートンはカナダ中にあるドーナツのチェーン店、ティム・ホートンズの創始者であり、トロント・メイプル・リーフスで長く活躍したホッケー選手である。しかし、セイバーズでは2シーズンしかプレーしていない彼が、なぜ、フレンチコネクション・ラインの3人と並んでセイバーズの永久欠番になっているのか。それが不思議で、調べてみた。
 1930年生まれのホートンは、NHLでは24年間プレーし、リーフスでは4度優勝、その間、ドーナツのビジネスも成功させた。60年代末に、長年在籍したリーフスを離れ、ニューヨーク・レンジャーズに移籍。そこで2シーズンすごしたあと、ピッツバーグ・ペンギンズで1シーズン、プレーし、72年にセイバーズにやってきたのだ。
 セイバーズでの2シーズン目の74年2月、悲劇は起こった。トロントで古巣リーフスと対戦したホートンは、バッファローの自宅に車で戻る途中、事故を起こし、亡くなってしまったのだ。猛烈なスピードでスポーツカーを走らせた末のクラッシュだったという。享年44歳。
 ホートンはリーフスでは7番をつけていたが、セイバーズでは2番になった。2と7は形が似ているので、かわりにどちらかを使う場合がよくある。
 リーフスは名選手の番号を欠番にはせずに、バナーは下げるという方式をとっているそうで、だから、リーフスでは7番は欠番ではないが、それに準じる扱いになっている。
 永久欠番はたくさん出してしまうと使える番号がなくなってしまうので、そう簡単には出さない。セイバーズでも、70年代に活躍した4人だけなのである。
 ホートンは死後にホッケーの殿堂入りを果たした。Hockey Hall of Fameのサイトでホートンの項を見ると、ギャラリーに多数の写真がある。リーフスのジャージ姿はもちろん、ペンギンズの水色ジャージ姿や、セイバーズのブルー・アンド・ゴールドを着た彼の写真が見られる。


セイバーズ選手の近況3 05/3/10

 ブリエア、デュモン、タリンダーの所属するスイス・リーグのベルンが、プレーオフでコロラド・アバランチのアービシャーを擁するルガノに勝ち、2回戦に駒を進めた。スイスのファンがリンクを貼ってくれたおかげで、映像も見られた。画面が小さくて、音声はドイツ語だから、あまりよくわからなかったけれど、とりあえず選手の名前は聞き取れる(背中にTOYOTAとか書いてあるのが何だが)。スタンドも満員で、盛り上がっているようだ。
 今季、ベルンのトップ・スコアラーであるブリエアは、奥さんと3人の息子も最初からスイスに連れてきていて、ヨーロッパのホッケーを楽しんでいる。
 ブリエアとデュモンは、セイバーズではヘヒトとラインを組んでいた。で、現在、ヘヒトはドイツのマンハイムでプレー中。そこで、来季はブリエアとデュモンもマンハイムへ移籍して、ヘヒトとラインを組もう、なんていう計画があるらしい。
 つまり、彼らは、来季もNHLはないと思っているのだな(こういう考えの選手は多いと思う)。
「NHLでプレーできないのは悲しいけど、世界の終わりというわけじゃない」と、相変わらずブリエアは明るいのである。
 カリフォルニアに家を建てて、そちらで暮らしているドゥルーリーは、このままロックアウトが続くなら来季はヨーロッパへ行くことも考えているそうだ。
 チェコのリーグでプレーしているコタリクも、現在、プレーオフ進出中。ロシアのアフィノゲノフはモスクワでかのオベチキンらとプレーしている。
 セイバーズではまったくだめだったキャンペルは、フィンランドのヘルシンキのチーム、ヨケリットでなぜか大活躍だとか。


不幸と災難てんこもり映画 05/3/4

 不幸と災難のてんこもり、という映画を見た。

「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」
 3人の姉弟妹に次々と不幸や災難が襲いかかるという児童文学の映画化。ジム・キャリーがスキンヘッドでびっくりするような変身ぶりを見せているが、演技は「ブルース・オールマイティ」などと同じいつものコメディ演技。演技を見ればすぐキャリーとわかってしまう。でも、アカデミー賞のメイクアップ賞を受賞。
 原作は読んでいないのだが、次々と不幸が襲いかかる、というほどには見えず、よくある災難を乗り越える少年少女の冒険物語といった感じ。大人たちもキャリー以外はいい人ばかりなのだ。ただ、いい大人はみんな人がよすぎて頭が悪いというか……。で、子供たちは賢く災難を乗り切っていく。ラストのアニメがすごく魅力的。

「ライフ・アクアティック」
 「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」のウェス・アンダーソン監督の新作。前作は問題を抱えた家族の関係のような話で、人物関係が複雑、話もけっこう痛い話だったのだが、今回は海洋学者のチームが災難に襲われながらそれを乗り越えていく冒険物語で、わかりやすく面白い。
 ラストにジャック・イヴ・クストーに対する献辞があるように、海洋ドキュメンタリーへのオマージュであり、パロディなのだろう。
 ビル・マレー、ウィレム・デフォー、ジェフ・ゴールドブラム、ケイト・ブランシェット、アンジェリカ・ヒューストンなどなど、俳優たちも多彩で楽しい。
 こちらものっけからチームの長老が鮫に食われてしまい、その後も、海賊に襲われたりと災難のてんこもり。それを知恵で乗り切るのでも何でもなく、ただもう、主役は死なないというだけの理由で乗り越えていく。でも、そんなご都合主義ののほほんとした楽しさが魅力だ。
 この海洋学者チームは一種の家族のようで、海洋学者と息子と名乗る青年の関係や、海洋学者を慕うデフォーの屈折した感情、ブランシェットをめぐる三角関係などなど、人間関係も面白い。最後にわかる父の思い、息子の思いもほろりとする。
 船を縦割りにしたセットの中を人物が動いていくシーンとか、ストップモーション・アニメで作られた海洋生物とか、映像的にも見どころがいっぱい。音楽もグー。


1919年のインフルエンザ 05/3/1

 スタンレーカップ・ファイナルを中止にした1919年のインフルエンザについて、たまたま手元にある「ザ・ホッケー・ニュース」に記事があったので、かいつまんでご紹介。

 始まりは1918年3月。カンザスの米軍基地で発生したインフルエンザのウィルスを兵士が第一次大戦のヨーロッパ戦線に持ち込んでしまった。(大戦に参戦していなかったスペインの新聞がニュースを伝えたので、スペイン風邪と呼ばれるようになった。)
 すぐに前線では奇妙な病気による死者が次々と出るようになった。やがて、8月下旬になると、今度は帰還兵たちが病気を北米に持ち帰ってしまう。
 9月と10月の間に、シカゴでは約8500人の死者が出た。ニューヨークでは1日の死者が850人以上に及んだ。モントリオールでは霊柩車が足らず、遺体を運ぶために路面電車を使わなければならないほどだった。
 流行の拡大を防ぐため、劇場やダンスホールなど、さまざまな公共施設が閉鎖された。11月下旬になると、突然、まるで奇跡のように、病気は姿を消したように見えた。
 12月21日、NHLはスケジュール通り、シーズンを開幕した。翌1919年3月6日、モントリオール・カナディアンズがプレーオフのチャンピオンとなった。当時はNHLのチャンピオンはパシフィック・コ-スト・ホッケー・アソシエーションのチャンピオンとプレーオフを戦い、その勝者にスタンレーカップが与えられることになっていた。そこで、カナディアンズはアメリカ西部のシアトルに向かい、PCHAのチャンピオン、シアトル・メトロポリタンズと対戦した。
 メトロポリタンズは1917年に、アメリカのチームとして初めてスタンレーカップ・チャンピオンになったチームである。そのときの相手がカナディアンズだったので、シリーズは盛り上がった。
 ところが、どちらも2勝2敗1引分、あと1勝した方が優勝というとき、両チームの選手たちは異常な疲労感に襲われた。あのインフルエンザである。
 最後の対戦が行なわれる4月1日の朝、カナディアンズの選手5人が寝込んでしまい、夜には試合が延期になった。2日後にはメトロポリタンズの選手3人が病気になり、このシリーズは中止になってしまった。病魔はカナディアンズの選手1人とオーナーの命を奪った。
 このインフルエンザによる死者の数はカナダでは約5万人、アメリカでは67万5千人にも及んだ。全世界では2千万人から4千万人が亡くなったと言われている。

 ちなみに、1919年はボストン・レッドソックスが優勝した翌年にあたる。レッドソックスはその後、長い間、優勝できず、昨年、86年ぶりの優勝を果たした。