1~3巻は大傑作、4~6巻は残念な出来
「テルマエ・ロマエ」VI
ヤマザキマリ著
エンターブレイン
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「テルマエ・ロマエ」が完結した。古代ローマの浴場設計士が現代日本にタイムスリップ。日本の風呂文化に感激し、その技術やアイデアを古代ローマに持ち帰って新たな浴場を建設する、という、毎回読みきりのマンガとしてスタートし、著者も想像しなかった大ヒットになり、日本人俳優にローマ人を演じさせた映画も大ヒット、というのはすでにご存知のとおり。
その「テルマエ・ロマエ」の原作マンガ、実は第4巻から読者の間では不評を買っていた。というのも、3巻目までは上に書いたような毎回読みきりのギャグマンガで、古代ローマ人ルシウスが現代日本に来て「平たい顔族」(日本人のこと)の技術やアイデアに驚愕し、それを古代ローマで応用するという毎度おなじみだが常に新しい趣向が凝らされている傑作だったのだが、4巻目からは方向性が180度変わってしまった。
物語は長編化し、風呂文化は脇に追いやられ、もっぱらルシウスと現代日本女性さつきとのラブストーリーが中心となる。
さつきは温泉旅館に生まれ、東大大学院を出て古代ローマを研究する考古学者になったが、故郷では温泉芸者をしているという、あまりにも非現実的な設定。東大で教鞭をとっているようだが、28歳くらいなので非常勤講師であろうか? 映画で上戸彩が演じたヒロインは古代ローマが好きで、ルシウスに惚れてその勢いでラテン語を勉強した普通の女性ということになっているので、こちらの方がはるかにリアルである。
4巻目以降は温泉旅館乗っ取りの陰謀があったり、ハナコという面白い馬が登場したり、さつきのおじいさん鉄蔵(トミー・リー・ジョーンズ似で、平たい顔ではない)が活躍したりするが、どの話もその場限りのアイデアで終わっていて、長編としてのきちんとしたプロットが感じられない。
また、長編化してからは絵が雑になっているのも目につく。3巻目までは古代ローマの風景は非常に手をかけたきめ細かい描写で、逆に現代日本はあまり手をかけないラフな描写になっていて、その対比が魅力的だったのだが、ルシウスがローマにほとんど帰らなくなり、絵がふやけたものばかりになってしまった。ローマに帰っても、以前のような絵の魅力はなくなっている。
噂によれば、著者はこのマンガを長く続けるつもりはなかったが、大ヒットになってしまい、編集部の意向もあって長篇化したそうだ。また、さつきのような現代の若い日本女性は、著者がずっと海外暮らしをしていることもあり、実態がよくわからず、本当は物語に登場させたくなかったという話もある。
実際、マンガに描かれるさつきはまったく魅力がない。絵にも著者の愛情が感じられない。また、東大出の考古学者という設定にもかかわらず、さつきはおよそ現代の日本では(いや世界でも)好まれない保守的な女性なのだ。
最終巻では、ルシウスに恋したさつきの考古学の現場での公私混同が描かれ、仕事も何もかも放り出してルシウスとの恋に生き、結婚して家庭を作るという、あまりにも時代錯誤な女性描写になっている。
ルシウスを最後は幸せにしたい、というのは著者と読者の両方の願望であった。また、ハドリアヌス帝の最後を描きたいというのは著者の頭に最初からあったことらしい。最終巻ではこの2つは実現されている。しかし、そこに至るまでの後半3巻分の長篇物語がかなりいいかげんな作りなので、感動が起こらない。
長篇化し、若い女性をヒロインとして登場させる、というのは著者の意思に反することだったかもしれない。個人的には、ルシウスとハドリアヌス帝の、かすかに同性愛的なものを匂わせる主従関係が前半の魅力だと思ったので、ヒロインの登場によりそれがなくなってしまったのも、ハドリアヌス帝崩御のクライマックスの盛り上がりを損ねた一因のように思う。
(新藤純子)