格差と不平等を望むのは誰か
『格差と序列の心理学 平等主義のパラドクス』
池上知子著
ミネルヴァ書房
一億総中流時代はすでに過去のものとなり、いまやワーキングプアをはじめ、さまざまな格差と不平等が問題化している日本。不安定な雇用や低賃金の生活に追いやられ、ひとたび貧困層に落ちるともはや自力で這い上がるのはむずかしく、ワーキングプアの子供はワーキングプアになるしかないという貧困の連鎖が予想されているが、こうした人々に対して、それは自己責任だと言う意見もあとを絶たない。
こうした個人の努力ではどうにもならない格差や不平等はなぜ是正されないのだろうか。誰がこうした格差や不平等を望んでいるのだろうか。社会的に恵まれた人々が既得権益を守ろうとして、不平等な社会を支持しているのだろうか。
いや、そうではない。不平等な社会を支持しているのは、実は、平等を願う人々であり、その中には格差と不平等に苦しむ恵まれない人々も含まれる、と、本書の著者、池上知子・大阪市立大学大学院教授は語る。
「平等主義的信条が強いほど、人々は理不尽で不条理な現実から目をそらし心理的安寧を得ようとする。不平等や格差を合理化したり、「平等」が達成されているかのような幻想を作り出したりするのである。(中略)平等主義を阻む真の敵は、「平等」を願う人々の心の中に潜んでいることを解き明かすこと、それが本書のねらいであった。」
上の引用は本書の一番最後の部分、「おわりに」の冒頭部分に書かれた言葉である。本書は文章が横書きで、文体も研究論文的、英文和訳のような生硬な文章が並んでいるが、この「おわりに」の部分は平易な文章で書かれ、読みやすい。本書に興味を持った方は、まず、この「おわりに」から読み始めるとよいのではないかと思う。
本書の前半はおもに北米(アメリカとカナダ)の研究を紹介しながら、格差社会を生み、それを支えるイデオロギーと人間心理を解説している。北米の調査の結果であるので、白人と黒人の人種問題など、日本の現実とかけ離れた部分もあるが、貧困と女性差別を例にあげている部分はわかりやすい。
なぜ人々は格差と不平等を是正しようとしないのか。その理由は、人間というものは現行の社会システムを肯定したいという傾向が強いからだ、と著者は指摘する。しかも、その傾向は、格差と不平等で利益を得ている人々だけでなく、不利益をこうむっている人々にも見られるのだという。著者の引用する北米の調査では、たとえば、貧しい人々は貧困は自己責任だと思うことで、生きることが楽になるのだそうだ。また、女性は自分の能力を男性より低く評価する傾向が強い、という調査結果もある。しかもこの調査はアメリカの一流大学、エール大学での調査である。高い能力を持った女子大生でさえも、自分は男性より劣ると考えることで、男性は女性より優れているという社会通念を肯定しているのだ。
つまり、人間は現行の社会システムを肯定した方が楽に生きられるので、そのシステムがどんなに理不尽でもそれを肯定するような考え方をしてしまうのである。
現行の社会システムにある格差や不平等を肯定する心理として、著者は公正的世界観と相補的世界観の2つをあげる。公正的世界観はいわゆる因果応報のことで、不運な人や不幸な人は何か悪いことをしたに違いないという考え方。一方、相補的世界観とは、「金持ちだけど不幸である」とか、「貧乏だけど幸せ」といった、プラスとマイナスの2つの要素を結びつける考え方である。現実には「金持ちだけど不幸」とは限らず、「貧乏だけど幸せ」とも限らないが、このようにプラスとマイナスの要素を結びつけることで、人は平等の幻想を抱き、不平等な世界を受け入れる。この相補的世界観はあらゆる場面に見られるもので、しかも、公正的世界観のようないやな感じがなく、それだけに、この相補的世界観を心地よいものとして受け入れてしまい、不平等がごまかされてしまうことに気づかされる。たとえば、男女差別についても、昔は一方的に女性は劣るものとして差別されていたが、現在は女性はこういうところが男性より優れているとして女性を持ち上げた上で、男女の役割を分けてしまうという形の性差別になっているようだ。こうした相補的世界観は現状を認める方向に行ってしまうので、社会改革にはつながりにくい。
本書の後半では、日本社会の典型的な序列である学歴について、著者のリサーチをもとに、現代日本における格差・不平等問題が語られる。日本にはイギリスのような階級がなく、そのかわり学歴による階級があるが、日本人が学歴を意識するようになった1970年代には、高卒と大卒の間に経済的格差はほとんどなかったのだという。しかし、現在では学歴、特に大学名による序列が就職その他、人生のすべてを決定してしまうようになり、しかもその学歴(学校歴)は18歳のときの大学入試の結果がすべてであるという不平等を生み出している。
そうした中で、学歴が人間の心理にどのような影響を及ぼしているか、著者は中位大学の学生を対象に、彼らが自分の大学より上位の大学と下位の大学に対してどのような感情を持つかを調査・分析している。ここでも相補的世界観は健在で、「上位大学の学生は能力は高いが人間としては冷たい」、「下位大学の学生は能力は低いが人間としては暖かい」と感じる傾向が強いという結果が出ている。また、自分の大学への帰属意識が濃いか薄いかで、上位大学や下位大学への感情が変わるという点も非常に興味深い。日本では希望の大学に入学できず、しかたなく滑り止めの大学に入った学生は少なくないと思うが、「もっと上の大学に入れたはずなのに」と思っている学生の下位大学への感情にはきわめて極端な反応が出ている。
最後に著者は、「階層が固定されている社会、固定されていると信じられている社会ほど、不本意なアイデンティティを形成する人間を生み出しやすい」、「集団間の序列が固定的で変動しにくいほど、集団の構成メンバーは集団間の序列に敏感になり、不満や劣等感を抱きやすくなる」と結論づける。そして、「階層が固定されていないと信じられている社会においては(中略)集団への所属への不本意感は、階層システム自体への懐疑の表明であり、既存の構造の改変を動機づける原動力になる」。しかし、「現行の階層システムは変わらないものと信じれば、階層構造はますます固定化される方向に進む」。現在の日本がどちらであるかは言うまでもないだろう。
本書は本文が170ページほどと、研究テーマの奥を深めたものとは言えない。しかし、相補的世界観によって理不尽な不平等社会を肯定してしまう人間心理についてなど、考えさせられる部分が多い。新書のような読みやすさはないが、じっくりと向き合い、考えるきっかけとしたい本である。
(新藤純子)