2015年2月27日

BookJapan書評「アフリカの女王」

男女逆転の痛快コメディ
『アフリカの女王』
セシル・スコット・フォレスター著 佐和誠訳 ハヤカワ文庫NV(初版1979年)

 狭い世界しか知らない良家の令嬢がのっぴきならない事態に遭遇、そこに現れた粗野だが実用的な男に助けられ、一緒に旅をするうちに、けんかしながら恋に落ちる……『或る夜の出来事』のような恋愛コメディから、『アフリカの女王』や『ロマンシング・ストーン/秘宝の谷』のような冒険ものに至るまで、映画の世界では超おなじみのこのパターンは、最近ではトム・クルーズとキャメロン・ディアス主演の『ナイト&デイ』にもその要素が見られる娯楽映画の王道。たぶん、小説にもこういうパターンは探せばあるのではないかと思うが、基本的にこのパターンはコメディなので、映画の方が生きるということは言える。
 さて、海洋冒険小説の大家、セシル・スコット・フォレスターの『アフリカの女王』は、ジョン・ヒューストン監督による映画があまりにも有名で、さらに、その映画の撮影裏話から、クリント・イーストウッド監督・主演の『ホワイトハンター ブラックハート』という映画まで生まれている。
 そんなわけで、映画の方が原作より有名になってしまった例の1つがおそらく『アフリカの女王』。そして、たぶん、映画と原作はそれほど大きく違わないだろう、と勝手に考えていた私は、これまでフォレスターの原作を読んでいなかった(すみません)。
 しかし、今回、あることがきっかけで、原作を読むことを決意。某大書店の高い棚のてっぺんに売れ残っていた……もとい、陳列されていた『アフリカの女王』を、移動式の小さな階段のようなものに登って手を伸ばし、ようやくゲット。ふーむ、本を買うところからプチ冒険じゃん、と思いながら読み始めた。
 最初はだいたい予想どおり。宣教師の兄の助手としてアフリカの奥地に渡ったヒロイン、ローズはそこそこよい家のお嬢さんで、狭い世界しか知らず、兄をひたすら尊敬している。ところが、兄が布教を続ける地域をドイツ軍が蹂躙し、失意の末に兄は死亡、ローズはドイツ軍に復讐を誓う。そこへ都合よく現れたのがオンボロ蒸気船の船長で技師のオルナット。ロンドンは下層階級の出身で、コクニー訛りを話し、粗野で教養もないが、世渡りの経験は多数。渡りに船とはこのことで、ローズはオルナットにドイツ軍への復讐をもちかける。オルナットの蒸気船〈アフリカン・クイーン〉の先端に魚雷をつけて、ドイツの軍艦〈ケーニギン・ルイゼ〉に突っ込み、軍艦を沈没させようというのだ。冗談じゃねえ、とオルナットはやめるよう説得するが、ローズは聞かない。祖国イギリスへの愛国心を振りかざし、オルナットを説得、こうして2人は川下りの旅に出る。
 この冒頭部分は人物描写がいくぶん乱暴で、説得力に欠ける面もあるが、よく読んでみると、兄の復讐とかイギリスへの愛国心というのは実はみせかけで、本当はローズは兄の死によって解放されたのだということがわかる。兄を尊敬し、兄に従っていたが、本当は彼女はキリスト教の教義やヴィクトリア朝的道徳観が嫌いで、そんなものはかなぐり捨てて、とにかく冒険がしたかったのだ。船の操縦の技術を信じられないようなスピードで身につけた彼女は、すぐさま〈アフリカン・クイーン〉の女艦長となり、オルナットは彼女に従う副官になってしまう。
 このあたりから、原作はこの手の映画のお定まりのパターンとはまったく違う様相を見せてくる。お定まりのパターンでは、ヒーローは粗野だが経験豊富なたくましい男で、ヒロインは彼との出会いによって変化していくのだが、『アフリカの女王』の原作では、たくましいのはオルナットではなく、ローズの方なのだ。対するオルナットは、この手の冒険もののヒーローとしてのかっこよさがどこか欠けている。彼は小柄な男であり、男らしさというものとは無縁な男なのだ。急流を下る冒険をしたあと、女としての輝きを増したローズに対し、オルナットは次のように描写されている。
「オルナットがなにゆえにほんのすこし――ばっちりではなく、ほんのすこし――だけ男らしさを身につけるにいたったか、これをさぐるのは典型的に心理学上の問題といっていいだろう。なぜなら、これまでながいあいだ、幼いスラム時代にはじまり、罐炊き部屋にいても、機関室にいても、あいまい宿にいても、はたまたウランガ金山の気楽にへつらうことのできる白人専用の食堂にいようが、とにかく一貫して彼には男らしさなどこれっぽっちも求めうべくもなかったのだから。」(pp.124-5)
 要するに、オルナットはローズとの冒険で初めて男らしさが出てきたというわけだ。
 ローズとオルナットの関係はまるで女王様と下僕のようで、オルナットが常にローズを見上げている。また、2人の恋愛関係も、ローズはオルナットに母性本能を感じ、オルナットはローズの母性的なやさしさにひかれている。これはたぶん、オルナットの方が年下だからではないかと思ったが、案の定、最後の最後になって、オルナットが30歳であることがわかる文章が出てきた(p.300)。対するローズは最初に33歳であると書かれているから、オルナットはやはり年下なのだ。
 また、肉体的にも、ローズはがっしりした体つきと書かれ、オルナットは小柄でやせぎすと書かれている。性格も、怖いもの知らずで行動的なローズに対し、オルナットは彼女を補佐する役に徹している。
 これって、もしかして、男女逆転?
 と思ったら、まさにそのとおりだった。
 物語のクライマックス、沈没した蒸気船から投げ出された2人がドイツの軍艦に連れてこられたとき、オルナットはなんと、ローズの下着を身につけているのだ。実は冒険のさなかにオルナットは自分の服を雑巾にして使い切ってしまい、服がなくなったので、フリルのついた女の下着を着けるしかなくなったのである。一方、ローズはドレスが破れ、胸もあらわになりかかっているので、ドイツ軍人は海軍士官の制服をローズに着せる。オルナットは女性の下着を、ローズは男の軍服を身につけるわけである。男女逆転、ここにきわまれり。
 この小説が出版されたのは1935年。30年代は確かにアメリカなどでは女性が男勝りな活躍をしていた時代ではあるけれど、こんな昔に男女逆転のコメディを書いてしまうとは、恐るべしフォレスター。もしかして、映画化よりこっちの方がユニークな傑作じゃないだろうか(映画と原作は結末の部分が違う)。
 大胆不敵に船を操るローズはあるときはワルキューレにたとえられ、また、何度かジャンヌ・ダルクと重ね合わされている。彼女の愛国心は、フランスへの愛国心から剣を取ったジャンヌ・ダルクのパロディに違いない。フォレスターの筆致はユーモアと皮肉に満ちていて(翻訳がまじめなのでわかりにくいが)、最後まで痛快なコメディであり続ける。「わたしたち、結婚すべきだわ」と宣言するローズに、「ひえーっ」と叫ぶオルナットは、結局、プロポーズを受け入れる(これも男女逆転)。そして、最後の一文がふるっているのだ。
「そのローズとオルナットが以後仕合わせに暮らしたかどうかは、他のかるはずみに容喙しうることではないだろう。」(p.300)
 おっと、これは日本語が古くてわかりづらい。原文はこうだ(ウィキペディア英語版の『アフリカの女王』の項より)。
「Whether or not they lived happily ever after would be difficult to say.」
(2人がその後、幸せに暮らしたかどうか、それを言うのはむずかしいだろう。)
 「they lived happily ever after」はもちろん、おとぎ話の結末の常套句。そこをひねっているのが面白い。
 冒険小説の部分については特に触れなかったが、結末近く、白旗を掲げたドイツ軍艦とイギリス軍の騎士道精神あふれるやりとりのシーンがすばらしい。そしてそのあと、〈ルイゼ〉、〈マチルダ〉、〈エミリア〉と、女性の名前のついた軍艦同士の戦闘が始まる。海の戦いでは、女性はまず第一に軍艦なのであり、強くたくましく包容力のあるローズは、男たちが身を寄せる軍艦の化身なのかもしれない。
(新藤純子)