シングルである人間という存在
「A Single Man」
クリストファー・イシャウッド著
初版1964年
http://www.amazon.co.jp/Single-Man-Vintage-Classic/dp/0099548828/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1290794241&sr=1-1
ファッション・デザイナーのトム・フォードが監督し、主演のコリン・ファースがアカデミー賞にノミネートされたことで話題となった映画「シングルマン」(2009年製作、2010年日本公開)の原作である。初版は1964年、翻訳はまだない。
著者のクリストファー・イシャウッド(1904-1986)はイギリス生まれのゲイの作家で、若い頃にヒトラー台頭期のベルリンですごし、その体験をもとにした「ベルリン物語」がのちにミュージカル「キャバレー」の原作となった。イシャウッドはアメリカで創作活動を続け、年の離れた若い同性の恋人を持ち、そして、ロサンゼルスの大学で教鞭をとっていたこともあった。
小説の舞台ははキューバ危機の1962年頃のロサンゼルス。イシャウッドの分身ともいわれる主人公ジョージは、大学で英文学を教えるイギリス人の大学教授である。最近、彼は同性の恋人ジムを自動車事故で失い、悲嘆にくれている。映画ではジョージの年齢は40代前半とされ、絶望したジョージが自殺を決意し、今日を人生最後の日にしようとする物語に変えられているが、原作のジョージは58歳で、しかも、彼は自殺など考えてはいない。
それでも、彼の一日は絶望から始まる。小説の冒頭、ジョージが「彼(he)」ではなく、「それ(it)」という代名詞で表現されているのにまず驚く。朝、目覚めた彼(いや、むしろ、それ)は、浴室の鏡に向かい、自分を認識して初めて、「彼」となる。
心ここにない喪失感は、「彼」となってからも続く。キッチンの狭い入口で、もはやジムとぶつかることなどないのだという認識。広い家には自分ひとりしかいないのだという認識。
原作のジョージのこうした喪失感、悲しみ、絶望をモチーフにして、トム・フォードはみごとな映画を作り上げた。全編に漂う死の影と、それでも世界は美しく輝いているという発見。スタイリッシュな映像と、出演者たちの的確な演技が、マイノリティであるゲイの大学教授の悲しい愛の物語をこの上なく美しい映画に結晶させていた。
しかし、原作を読むと、イシャウッドの描いた世界は映画ほど単純でないことに気づく。マイノリティの問題ひとつをとっても、原作はより複雑で奥が深い。
ジョージが住む家は、白人の中流家族が住む郊外の住宅地にある。白人の中流家族とはまさにマジョリティの典型であり、結婚もせず、子供も持たず、しかもゲイであるジョージのような人間の対極にある多数派だ。その上、彼はイギリス人である。ジョージは自宅の敷地にまで入り込んで騒ぐ子供たちに辟易し、キューバ危機で戦争を煽る政治家に怒りを感じ、核戦争に備えて核シェルターを買うことができる金持ちに憤りを感じる。戦争が始まれば、犠牲となるのは貧しい人々やマイノリティといった弱者であることは明らかだからだ。
その一方で、彼は冷静な大学教授でもある。英文学の講義で、オールダス・ハクスリーが小説の登場人物に「人を憎むのには理由がある」といわせたことについて、学生から「ユダヤ人の迫害にも理由があるのか、ハクスリーは反ユダヤ主義なのか」ときかれる。ジョージは、ハクスリーは反ユダヤ主義ではないと答えた上で、マイノリティとマジョリティについて、次のように語る。
「たとえば、そばかすのある人間は、そばかすのない人間にとってマイノリティではない。今、ここで議論しているような意味でのマイノリティではないんだ。では、なぜ、彼らはマイノリティではないのか。マイノリティは、それがマジョリティに対して、現実であれ想像上であれ、ある種の脅威になるときだけ、マイノリティとして意識される。そして、どんな脅威もまったくの想像上のものということはない。それは違う、という人はがここにいたら、自問してみるといい――もしもこの特定のマイノリティが、一夜にしてマジョリティになったとしたら、彼らはいったい何をするだろうか、と」(新藤訳)
迫害にも理由はある、ただし、それは間違った理由だが、それでも理由はある、と彼はいい、そしてさらに、人間はみな同じだと考えることが間違いであること、違いを認めることがたいせつであることを述べる。そして、マジョリティが悪でマイノリティが善だとする紋切り型の考えも批判する。
この場面は映画でも印象に残るシーンだったが、マイノリティとマジョリティに関する彼の柔軟な考え方は原作でじっくりと読んだ方がよりよく理解できる。そして、物語が進むにつれて、この小説がマイノリティについての単純な話ではないことがしだいに明らかになっていく。
タイトルの「A Single Man」とはどういう意味だろうか。普通に考えれば、それは「独身の男」であり、この小説にあてはめれば、恋人を失って「独り身になった男」である。しかし、同時に、この言葉には、「一人の人間」、「一人(シングル)である人間」という意味も含まれる。「シングルである」ということは、「孤独である」ということとは意味が違う。人間は究極的には一人であり、個である、その個人としての「シングルである人間」ということになる。
そう、人間は究極的には一人であり、個であるのだが、しかし、人間は一人では生きられないのもまた真実だ。どんなに人付き合いが下手で、ひきこもりになっている人でも、つながりのある人間はいるはずだ。人間は個であり、シングルであるのだが、常に他の人と結びつき、集団の中の一人になる。その集団がマイノリティである場合もあれば、マジョリティである場合もある。マジョリティに属している人も、究極的には個であるのだ。
小説の後半、非常に短い場面だが、印象的なシーンがある。近所に住む古いつきあいのイギリス人女性チャーリーの家へ行こうとしたとき、隣人が、家に来て私たちと一杯やりませんか、と誘いに来る。ジョージがゲイであることを承知で、彼を招いてくれたことを知った彼は、非常にうれしく思うが、チャーリーとの約束があるので、明日の晩はどうかという。すると隣人は、明日は来客があるので、と言葉を濁す。自分にクイアー(ゲイのこと)なところがあるのが客にわかると気まずいからだろう、とジョージは思う。しかし、この場面は、マジョリティにもさまざまな人がいて、一人一人が違う人間だということを示唆している。
女性の友人チャーリーと、ジョージの講義に感銘を受け、彼の話を聞きたがる男子学生ケニーは、映画の中でもジョージに次ぐ重要な人物だが、この二人も映画と原作では設定が違っている。チャーリーは第二次大戦終戦後、米兵と結婚してアメリカに来たイギリス人で、夫とは離婚、一人息子は遠くへ行ってしまっている。彼女もまた、シングルになってしまった人間なのだ。また、映画では彼女はジョージの元恋人ということになっているが、原作では彼女はジョージとジムを見守ってきた女性である。ジョージがチャーリーに会いにいくとき、そこには常にジムの影がつきまとう。ジムを失った喪失感と悲しみをジョージが最も感じるのは、チャーリーと会うときである。
映画ではジョージを慕う学生のように描かれたケニーは、原作では日系人の恋人がいる。彼女、ロイスは戦争中、家族とともに日系人の強制収容所に入れられ、そのトラウマが二人の上に影を落としている。迫害されるマイノリティのテーマがここで小さく変奏され、恋人同士ではあっても究極的にシングルである二人の姿が垣間見える。
一日の最後に、ジョージはある風景を思い描く。北に数マイル行ったところにある岩浜では、引き潮になると小さな水溜りがいくつもできる。そのひとつひとつにジョージは知り合いの名前をつける。潮が満ちてくれば、ひとつひとつの水溜りは海の中に沈んでしまう。水溜りの水は大洋の水と同じだろうか。
このくだりはあまりにも美しく、さまざまな解釈が可能であり、著者は答えを出さない。個々の人間の存在とはいったい何なのか。究極的にはシングルである存在であり、そして、一個の肉体である人間とは。恋人を失った悲しみや、マイノリティの問題は、いつしか、普遍的な人間の存在についての物語となる。その過程を、一字一句、かみしめるようにして読まなければ、このくだりの美しさは味わえない。文学とは、そういうものなのだと思う。
(新藤純子)
ただ今、工事中。2004年12月から2010年6月までの3つのさーべる倶楽部の記事をここにまとめる予定です。テキストのみのため、画像はありません。BookJapanの書評がリンク切れのため、ここに再録します。
2015年2月27日
BookJapan書評「アフリカの女王」
男女逆転の痛快コメディ
『アフリカの女王』
セシル・スコット・フォレスター著 佐和誠訳 ハヤカワ文庫NV(初版1979年)
狭い世界しか知らない良家の令嬢がのっぴきならない事態に遭遇、そこに現れた粗野だが実用的な男に助けられ、一緒に旅をするうちに、けんかしながら恋に落ちる……『或る夜の出来事』のような恋愛コメディから、『アフリカの女王』や『ロマンシング・ストーン/秘宝の谷』のような冒険ものに至るまで、映画の世界では超おなじみのこのパターンは、最近ではトム・クルーズとキャメロン・ディアス主演の『ナイト&デイ』にもその要素が見られる娯楽映画の王道。たぶん、小説にもこういうパターンは探せばあるのではないかと思うが、基本的にこのパターンはコメディなので、映画の方が生きるということは言える。
さて、海洋冒険小説の大家、セシル・スコット・フォレスターの『アフリカの女王』は、ジョン・ヒューストン監督による映画があまりにも有名で、さらに、その映画の撮影裏話から、クリント・イーストウッド監督・主演の『ホワイトハンター ブラックハート』という映画まで生まれている。
そんなわけで、映画の方が原作より有名になってしまった例の1つがおそらく『アフリカの女王』。そして、たぶん、映画と原作はそれほど大きく違わないだろう、と勝手に考えていた私は、これまでフォレスターの原作を読んでいなかった(すみません)。
しかし、今回、あることがきっかけで、原作を読むことを決意。某大書店の高い棚のてっぺんに売れ残っていた……もとい、陳列されていた『アフリカの女王』を、移動式の小さな階段のようなものに登って手を伸ばし、ようやくゲット。ふーむ、本を買うところからプチ冒険じゃん、と思いながら読み始めた。
最初はだいたい予想どおり。宣教師の兄の助手としてアフリカの奥地に渡ったヒロイン、ローズはそこそこよい家のお嬢さんで、狭い世界しか知らず、兄をひたすら尊敬している。ところが、兄が布教を続ける地域をドイツ軍が蹂躙し、失意の末に兄は死亡、ローズはドイツ軍に復讐を誓う。そこへ都合よく現れたのがオンボロ蒸気船の船長で技師のオルナット。ロンドンは下層階級の出身で、コクニー訛りを話し、粗野で教養もないが、世渡りの経験は多数。渡りに船とはこのことで、ローズはオルナットにドイツ軍への復讐をもちかける。オルナットの蒸気船〈アフリカン・クイーン〉の先端に魚雷をつけて、ドイツの軍艦〈ケーニギン・ルイゼ〉に突っ込み、軍艦を沈没させようというのだ。冗談じゃねえ、とオルナットはやめるよう説得するが、ローズは聞かない。祖国イギリスへの愛国心を振りかざし、オルナットを説得、こうして2人は川下りの旅に出る。
この冒頭部分は人物描写がいくぶん乱暴で、説得力に欠ける面もあるが、よく読んでみると、兄の復讐とかイギリスへの愛国心というのは実はみせかけで、本当はローズは兄の死によって解放されたのだということがわかる。兄を尊敬し、兄に従っていたが、本当は彼女はキリスト教の教義やヴィクトリア朝的道徳観が嫌いで、そんなものはかなぐり捨てて、とにかく冒険がしたかったのだ。船の操縦の技術を信じられないようなスピードで身につけた彼女は、すぐさま〈アフリカン・クイーン〉の女艦長となり、オルナットは彼女に従う副官になってしまう。
このあたりから、原作はこの手の映画のお定まりのパターンとはまったく違う様相を見せてくる。お定まりのパターンでは、ヒーローは粗野だが経験豊富なたくましい男で、ヒロインは彼との出会いによって変化していくのだが、『アフリカの女王』の原作では、たくましいのはオルナットではなく、ローズの方なのだ。対するオルナットは、この手の冒険もののヒーローとしてのかっこよさがどこか欠けている。彼は小柄な男であり、男らしさというものとは無縁な男なのだ。急流を下る冒険をしたあと、女としての輝きを増したローズに対し、オルナットは次のように描写されている。
「オルナットがなにゆえにほんのすこし――ばっちりではなく、ほんのすこし――だけ男らしさを身につけるにいたったか、これをさぐるのは典型的に心理学上の問題といっていいだろう。なぜなら、これまでながいあいだ、幼いスラム時代にはじまり、罐炊き部屋にいても、機関室にいても、あいまい宿にいても、はたまたウランガ金山の気楽にへつらうことのできる白人専用の食堂にいようが、とにかく一貫して彼には男らしさなどこれっぽっちも求めうべくもなかったのだから。」(pp.124-5)
要するに、オルナットはローズとの冒険で初めて男らしさが出てきたというわけだ。
ローズとオルナットの関係はまるで女王様と下僕のようで、オルナットが常にローズを見上げている。また、2人の恋愛関係も、ローズはオルナットに母性本能を感じ、オルナットはローズの母性的なやさしさにひかれている。これはたぶん、オルナットの方が年下だからではないかと思ったが、案の定、最後の最後になって、オルナットが30歳であることがわかる文章が出てきた(p.300)。対するローズは最初に33歳であると書かれているから、オルナットはやはり年下なのだ。
また、肉体的にも、ローズはがっしりした体つきと書かれ、オルナットは小柄でやせぎすと書かれている。性格も、怖いもの知らずで行動的なローズに対し、オルナットは彼女を補佐する役に徹している。
これって、もしかして、男女逆転?
と思ったら、まさにそのとおりだった。
物語のクライマックス、沈没した蒸気船から投げ出された2人がドイツの軍艦に連れてこられたとき、オルナットはなんと、ローズの下着を身につけているのだ。実は冒険のさなかにオルナットは自分の服を雑巾にして使い切ってしまい、服がなくなったので、フリルのついた女の下着を着けるしかなくなったのである。一方、ローズはドレスが破れ、胸もあらわになりかかっているので、ドイツ軍人は海軍士官の制服をローズに着せる。オルナットは女性の下着を、ローズは男の軍服を身につけるわけである。男女逆転、ここにきわまれり。
この小説が出版されたのは1935年。30年代は確かにアメリカなどでは女性が男勝りな活躍をしていた時代ではあるけれど、こんな昔に男女逆転のコメディを書いてしまうとは、恐るべしフォレスター。もしかして、映画化よりこっちの方がユニークな傑作じゃないだろうか(映画と原作は結末の部分が違う)。
大胆不敵に船を操るローズはあるときはワルキューレにたとえられ、また、何度かジャンヌ・ダルクと重ね合わされている。彼女の愛国心は、フランスへの愛国心から剣を取ったジャンヌ・ダルクのパロディに違いない。フォレスターの筆致はユーモアと皮肉に満ちていて(翻訳がまじめなのでわかりにくいが)、最後まで痛快なコメディであり続ける。「わたしたち、結婚すべきだわ」と宣言するローズに、「ひえーっ」と叫ぶオルナットは、結局、プロポーズを受け入れる(これも男女逆転)。そして、最後の一文がふるっているのだ。
「そのローズとオルナットが以後仕合わせに暮らしたかどうかは、他のかるはずみに容喙しうることではないだろう。」(p.300)
おっと、これは日本語が古くてわかりづらい。原文はこうだ(ウィキペディア英語版の『アフリカの女王』の項より)。
「Whether or not they lived happily ever after would be difficult to say.」
(2人がその後、幸せに暮らしたかどうか、それを言うのはむずかしいだろう。)
「they lived happily ever after」はもちろん、おとぎ話の結末の常套句。そこをひねっているのが面白い。
冒険小説の部分については特に触れなかったが、結末近く、白旗を掲げたドイツ軍艦とイギリス軍の騎士道精神あふれるやりとりのシーンがすばらしい。そしてそのあと、〈ルイゼ〉、〈マチルダ〉、〈エミリア〉と、女性の名前のついた軍艦同士の戦闘が始まる。海の戦いでは、女性はまず第一に軍艦なのであり、強くたくましく包容力のあるローズは、男たちが身を寄せる軍艦の化身なのかもしれない。
(新藤純子)
『アフリカの女王』
セシル・スコット・フォレスター著 佐和誠訳 ハヤカワ文庫NV(初版1979年)
狭い世界しか知らない良家の令嬢がのっぴきならない事態に遭遇、そこに現れた粗野だが実用的な男に助けられ、一緒に旅をするうちに、けんかしながら恋に落ちる……『或る夜の出来事』のような恋愛コメディから、『アフリカの女王』や『ロマンシング・ストーン/秘宝の谷』のような冒険ものに至るまで、映画の世界では超おなじみのこのパターンは、最近ではトム・クルーズとキャメロン・ディアス主演の『ナイト&デイ』にもその要素が見られる娯楽映画の王道。たぶん、小説にもこういうパターンは探せばあるのではないかと思うが、基本的にこのパターンはコメディなので、映画の方が生きるということは言える。
さて、海洋冒険小説の大家、セシル・スコット・フォレスターの『アフリカの女王』は、ジョン・ヒューストン監督による映画があまりにも有名で、さらに、その映画の撮影裏話から、クリント・イーストウッド監督・主演の『ホワイトハンター ブラックハート』という映画まで生まれている。
そんなわけで、映画の方が原作より有名になってしまった例の1つがおそらく『アフリカの女王』。そして、たぶん、映画と原作はそれほど大きく違わないだろう、と勝手に考えていた私は、これまでフォレスターの原作を読んでいなかった(すみません)。
しかし、今回、あることがきっかけで、原作を読むことを決意。某大書店の高い棚のてっぺんに売れ残っていた……もとい、陳列されていた『アフリカの女王』を、移動式の小さな階段のようなものに登って手を伸ばし、ようやくゲット。ふーむ、本を買うところからプチ冒険じゃん、と思いながら読み始めた。
最初はだいたい予想どおり。宣教師の兄の助手としてアフリカの奥地に渡ったヒロイン、ローズはそこそこよい家のお嬢さんで、狭い世界しか知らず、兄をひたすら尊敬している。ところが、兄が布教を続ける地域をドイツ軍が蹂躙し、失意の末に兄は死亡、ローズはドイツ軍に復讐を誓う。そこへ都合よく現れたのがオンボロ蒸気船の船長で技師のオルナット。ロンドンは下層階級の出身で、コクニー訛りを話し、粗野で教養もないが、世渡りの経験は多数。渡りに船とはこのことで、ローズはオルナットにドイツ軍への復讐をもちかける。オルナットの蒸気船〈アフリカン・クイーン〉の先端に魚雷をつけて、ドイツの軍艦〈ケーニギン・ルイゼ〉に突っ込み、軍艦を沈没させようというのだ。冗談じゃねえ、とオルナットはやめるよう説得するが、ローズは聞かない。祖国イギリスへの愛国心を振りかざし、オルナットを説得、こうして2人は川下りの旅に出る。
この冒頭部分は人物描写がいくぶん乱暴で、説得力に欠ける面もあるが、よく読んでみると、兄の復讐とかイギリスへの愛国心というのは実はみせかけで、本当はローズは兄の死によって解放されたのだということがわかる。兄を尊敬し、兄に従っていたが、本当は彼女はキリスト教の教義やヴィクトリア朝的道徳観が嫌いで、そんなものはかなぐり捨てて、とにかく冒険がしたかったのだ。船の操縦の技術を信じられないようなスピードで身につけた彼女は、すぐさま〈アフリカン・クイーン〉の女艦長となり、オルナットは彼女に従う副官になってしまう。
このあたりから、原作はこの手の映画のお定まりのパターンとはまったく違う様相を見せてくる。お定まりのパターンでは、ヒーローは粗野だが経験豊富なたくましい男で、ヒロインは彼との出会いによって変化していくのだが、『アフリカの女王』の原作では、たくましいのはオルナットではなく、ローズの方なのだ。対するオルナットは、この手の冒険もののヒーローとしてのかっこよさがどこか欠けている。彼は小柄な男であり、男らしさというものとは無縁な男なのだ。急流を下る冒険をしたあと、女としての輝きを増したローズに対し、オルナットは次のように描写されている。
「オルナットがなにゆえにほんのすこし――ばっちりではなく、ほんのすこし――だけ男らしさを身につけるにいたったか、これをさぐるのは典型的に心理学上の問題といっていいだろう。なぜなら、これまでながいあいだ、幼いスラム時代にはじまり、罐炊き部屋にいても、機関室にいても、あいまい宿にいても、はたまたウランガ金山の気楽にへつらうことのできる白人専用の食堂にいようが、とにかく一貫して彼には男らしさなどこれっぽっちも求めうべくもなかったのだから。」(pp.124-5)
要するに、オルナットはローズとの冒険で初めて男らしさが出てきたというわけだ。
ローズとオルナットの関係はまるで女王様と下僕のようで、オルナットが常にローズを見上げている。また、2人の恋愛関係も、ローズはオルナットに母性本能を感じ、オルナットはローズの母性的なやさしさにひかれている。これはたぶん、オルナットの方が年下だからではないかと思ったが、案の定、最後の最後になって、オルナットが30歳であることがわかる文章が出てきた(p.300)。対するローズは最初に33歳であると書かれているから、オルナットはやはり年下なのだ。
また、肉体的にも、ローズはがっしりした体つきと書かれ、オルナットは小柄でやせぎすと書かれている。性格も、怖いもの知らずで行動的なローズに対し、オルナットは彼女を補佐する役に徹している。
これって、もしかして、男女逆転?
と思ったら、まさにそのとおりだった。
物語のクライマックス、沈没した蒸気船から投げ出された2人がドイツの軍艦に連れてこられたとき、オルナットはなんと、ローズの下着を身につけているのだ。実は冒険のさなかにオルナットは自分の服を雑巾にして使い切ってしまい、服がなくなったので、フリルのついた女の下着を着けるしかなくなったのである。一方、ローズはドレスが破れ、胸もあらわになりかかっているので、ドイツ軍人は海軍士官の制服をローズに着せる。オルナットは女性の下着を、ローズは男の軍服を身につけるわけである。男女逆転、ここにきわまれり。
この小説が出版されたのは1935年。30年代は確かにアメリカなどでは女性が男勝りな活躍をしていた時代ではあるけれど、こんな昔に男女逆転のコメディを書いてしまうとは、恐るべしフォレスター。もしかして、映画化よりこっちの方がユニークな傑作じゃないだろうか(映画と原作は結末の部分が違う)。
大胆不敵に船を操るローズはあるときはワルキューレにたとえられ、また、何度かジャンヌ・ダルクと重ね合わされている。彼女の愛国心は、フランスへの愛国心から剣を取ったジャンヌ・ダルクのパロディに違いない。フォレスターの筆致はユーモアと皮肉に満ちていて(翻訳がまじめなのでわかりにくいが)、最後まで痛快なコメディであり続ける。「わたしたち、結婚すべきだわ」と宣言するローズに、「ひえーっ」と叫ぶオルナットは、結局、プロポーズを受け入れる(これも男女逆転)。そして、最後の一文がふるっているのだ。
「そのローズとオルナットが以後仕合わせに暮らしたかどうかは、他のかるはずみに容喙しうることではないだろう。」(p.300)
おっと、これは日本語が古くてわかりづらい。原文はこうだ(ウィキペディア英語版の『アフリカの女王』の項より)。
「Whether or not they lived happily ever after would be difficult to say.」
(2人がその後、幸せに暮らしたかどうか、それを言うのはむずかしいだろう。)
「they lived happily ever after」はもちろん、おとぎ話の結末の常套句。そこをひねっているのが面白い。
冒険小説の部分については特に触れなかったが、結末近く、白旗を掲げたドイツ軍艦とイギリス軍の騎士道精神あふれるやりとりのシーンがすばらしい。そしてそのあと、〈ルイゼ〉、〈マチルダ〉、〈エミリア〉と、女性の名前のついた軍艦同士の戦闘が始まる。海の戦いでは、女性はまず第一に軍艦なのであり、強くたくましく包容力のあるローズは、男たちが身を寄せる軍艦の化身なのかもしれない。
(新藤純子)
BookJapan書評「コペンハーゲン」
文系人間の不確定性原理
『コペンハーゲン』
マイケル・フレイン著 小田島恒志訳 ハヤカワ演劇文庫 2010年
1994年の猛暑の夏、涼を求めてドトールやカフェ・ベローチェをハシゴしながら、私が夢中になって読んでいた1冊の分厚い洋書があった。大判で600ページにもおよぶその本は、デヴィッド・C・キャシディというアメリカの物理学者が書いた『Uncertainty: The Life and Science of Werner Heisenberg』(1992年出版)――1920年代、量子力学という新しい分野で不確定性原理という理論を生み出したドイツの天才物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクの伝記である(翻訳は4年後の1998年に『不確定性――ハイゼンベルクの科学と生涯』として出版された)。
それはまるで小説のように面白い本だった。20世紀のはじめにドイツに生まれた若き天才が、コペンハーゲンの物理学者ニルス・ボーアのもとに集まった同世代の若い科学者たちと量子力学を研究し、画期的な理論を打ち立て、ノーベル賞を受賞。しかし、ナチスが台頭した30年代には、仲間のユダヤ人科学者たちは次々と亡命、反ナチのハイゼンベルクも亡命をすすめられたが、彼はドイツに残り、やがて、ナチスのもとで研究者としての地位を得る。
ハイゼンベルクのこのような生涯は、『部分と全体』という自伝もあり、すでに知られたことではあったが、キャシディの本はハイゼンベルクをまるで小説の主人公のように描いていた。特に、ボーアや仲間たちとの研究からすばらしい成果を上げた光り輝く青春時代が、やがてナチスの台頭によって悲劇の時代となり、純粋な学問だった原子物理学が原爆という最悪の結果をもたらすという史実は、楽園喪失のドラマそのものだった。若き日のハイゼンベルクを物理学の英雄として崇拝するキャシディは、ナチスの時代に亡命もせず、反ナチ活動もしなかった彼を許せなかった。キャシディにとって、ナチス時代のハイゼンベルクは堕ちた英雄である。伝記の後半はハイゼンベルクへの批判の言葉が多くなり、前半のわくわくするような筆致は影をひそめてしまう。
理系が苦手な私が、この本を――ハイゼンベルクの生涯だけでなく、量子力学の難解な解説や数式も多数含むこの長大な本をわざわざ原書で読もうと思ったのは、94年春に翻訳が出版されたトマス・パワーズ著『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか――連合国が最も恐れた男 天才ハイゼンベルクの闘い』を読んだためである。アメリカのジャーナリスト、パワーズは、ナチスのもとで原爆製造にかかわっていたのではないかと疑われたハイゼンベルクについて、実は彼は、ナチスの原爆製造を阻止するためにドイツにとどまり、原爆製造は無理であると上層部に思い込ませることで、ナチスが原爆を手に入れることを防いだのだと主張する。ハイゼンベルクがドイツで原爆の研究をしていなかったことはすでに証明されているが、それは単に、ドイツの科学が遅れていたからだというそれまでの定説に対し、パワーズはハイゼンベルクが積極的に原爆製造を阻止したのだと論じる。そして、返す刀で、ロス・アラモスで原爆製造を成し遂げ、広島と長崎に投下してしまったアメリカを批判している(アメリカではいまだに、原爆投下は終戦を早め、犠牲者を減らしたという論が主流であることを考えると、アメリカ人のパワーズによるこの本の異端ぶりがわかるだろう。当時、スミソニアン博物館が原爆投下の被害に関する展示を行なおうとしていたが、国内の強い反発にあい、規模の縮小を余儀なくされるということがあった)。
パワーズの本はミステリーのように面白いノンフィクションで、翻訳もこなれて読みやすかった。ただ、翻訳を読んだだけで誤訳や訳抜けがわかる箇所があり、気になった私は原書『Heisenberg's War』(1993年出版)を購入、本を開いてみて、驚いた。原書には膨大な注がついていて、しかも注の文章が非常に長い。これほど長い注はもはや注ではなく、本文の一部であり、ここがあるかないかで本の内容が違ってくるとさえ思えた。また、結末の部分が原書と翻訳では内容が大きく違っていたが、これは著者がどこかで本文を差し替えたのかもしれない(翻訳の方が原爆投下を非難するトーンが強い)。
そして、翻訳では省略された注の部分から、このパワーズの本が前述のキャシディのハイゼンベルクの伝記に対する反論であることがわかったのである。キャシディは、ハイゼンベルクが基本的に反ナチであること、ユダヤ人科学者の亡命に尽力したことは認めたが、積極的に反ナチ活動をしなかったという点で、彼を強く非難していた。それに対し、パワーズは、ハイゼンベルクは積極的にナチスの原爆製造を阻止したのだ、という反論を展開したわけである。
前説が長くなったが、マイケル・フレインの劇『コペンハーゲン』(初演1998年、ロンドン)は、「作者あとがき」にもあるように、1992年と93年に相次いで出版されたキャシディの伝記とパワーズのノンフィクションの影響を強く受けている。特にパワーズの『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか』から多大なインスピレーションを受けたことは明らかで、フレインは「私はこの本を、特に他の劇作家や映画の脚本家に推薦します。ここにはさらに何本かの戯曲や映画を作る材料が揃っているからです」と述べている。
ハイゼンベルクは原爆の研究に対し、どのような態度をとっていたのか。その疑問は、1941年、ハイゼンベルクがドイツ占領下のデンマーク、コペンハーゲンへ行き、かつての恩師ボーアの家を訪ねた1日に集約される。その日、ハイゼンベルクがボーアを訪ねたのは事実であり、そこでハイゼンベルクはボーアにあることを告げ、それが2人を決裂させたことも事実である。その日を境に、ハイゼンベルクはボーアをはじめとするかつての仲間たちから完全に敵とみなされ、戦後も彼らから許されることはなかった。
あのとき、ハイゼンベルクがボーアに何を言ったのかは明らかになっていない。戦後になって、ハイゼンベルクは「一物理学者に、原子力エネルギーの実践的活用を研究する道徳上の権利はあるのでしょうか」と言ったのだと語ったが、ボーアはそれを否定。数年たつ間に記憶が変容することを考えると、事実は闇の中である。
フレインはこの問題の1日を、ボーアと夫人のマルグレーテ、そしてハイゼンベルクの3人の台詞で構成していく。時代は現代で、3人はすでに幽霊になっているが、その語りの中で、彼らは1941年のあの日に帰る。ハイゼンベルクがボーアの家へやってきて、扉をたたく。ボーアが彼を迎える。
ボーア やあ、ハイゼンベルク君!
ハイゼンベルク こんにちは、ボーア先生!
ボーア さあ、入った、入った……
このやりとりは劇中、何度も繰り返される。ボーアの家には盗聴器が仕掛けられていたので、2人は外へ散歩に出る。そこで何が語られたのか。ボーアとハイゼンベルクとマルグレーテは記憶をたどりながら、さまざまなことを語る。全2幕の劇のうち、第1幕はおもに、パワーズが『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか』で主張したことがドラマの基本となっている。すなわち、ハイゼンベルクはナチスが原爆を持つことを防ぐためにドイツに残り、研究者としての地位を得て、原爆製造が不可能であると上層部に思わせ続けたのだということ。それに対し、アメリカへ亡命した科学者たちはドイツが原爆を持つことを恐れて原爆製造に全力を注いだこと。そして、ハイゼンベルクがボーアに言いたかったのは、自分たちがドイツで原爆製造を阻止するから、連合国の科学者たちにもそうしてほしいということだったのだということ。
第2幕になると、時代は1920年代にさかのぼり、コペンハーゲンのボーアの研究所に集まった若き科学者たちが原子物理学について喧々諤々の議論をした日々が回想される。ボーアとハイゼンベルクとの間には父と息子のような絆が生まれ、それはまさに黄金時代だった。第2幕の後半では、原子爆弾の実現にはどれだけのウランが必要であるかについての議論がかわされる。ハイゼンベルクをはじめ、科学者たちは大量のウランが必要なので原爆製造は無理だと思っていた。しかし、連合国側の2人の科学者がやがて正しい計算をし、原爆製造にはそれほど多くのウランは必要ないことがわかる。ハイゼンベルクほどの天才がなぜ、そのことに気づかなかったのか。気づいていたけれど、ナチスに原爆を作らせないために隠していたのか。あるいは、原爆を作りたくないという無意識が、彼が正しい計算をするのを邪魔したのか。
ふたたび、前説に戻ろう。パワーズのノンフィクションを読んだとき、私が感じたのは、ハイゼンベルクが積極的にナチスの原爆製造を阻止したというのはいくらなんでも話ができすぎているということだった。かといって、キャシディの伝記に代表されるハイゼンベルク非難――彼は時代に流されてナチスに協力する形になったが、原爆の研究に関してはまったく無能であり、それゆえにナチスは原爆製造を断念したのだという考え方も納得できなかった。真相はおそらくその中間にあると思った。ハイゼンベルクは積極的に原爆製造を阻止したわけではなかったが、原爆を作りたくないという消極的な気持ちが結果的にナチスの原爆製造を阻止したのだろう、ということである。
『コペンハーゲン』もこの結論(おそらくは世界中の読者の結論)を基本にしている。ハイゼンベルクは無意識のうちに原爆を拒否する行動をとったが、彼自身はそのことがわかっていないので、戦後、不可解な発言をし、真相は闇の中になっているという考え方を打ち出している。そしてフレインは、ハイゼンベルクのこのような状態を、ハイゼンベルク自身の不確定性原理のたとえで説明していく。すなわち、量子には粒子と波動の両方の特性があり、どちらになるかは観察者の状態によって決まる。言い換えれば、ある事柄を完全に客観的に見ることは不可能で、それは見る人によって違うということ。
ハイゼンベルクの行動が見る人によって違って見えるということ、そしてなにより、本人も自分のことがよくわかっていないということを描くために、フレインは3人の登場人物を極力、本物に近づけたようだ。3人がどのような話し方をするかを調べ、台詞も実際に発言したことをもとにしている。恣意的な創作といえる部分は、こうした事柄をいかに組み合わせて並べるかというところだが、そこも、簡単に作者の意図が読めるような構成はしていない。むしろ、台詞は量子のようにいくつものスリットをすり抜け、姿を変え、読者を翻弄する。中心となる物語の合間に何度も繰り返される、水死したボーアの息子、人間の魂の闇だというハムレットの居城エルシノア、ポーカーの想像上のストレートといったイメージが、しだいに物語の核に結びついていく。
『コペンハーゲン』の結末は、ハイゼンベルクとボーアが”話し合わなかった”ことの重要性を語っている。ハイゼンベルクが原爆の可能性を口にしたとき、ボーアがそれ以上の話し合いを拒否し、2人が決裂したことで、世界が救われたという可能性を、この劇はほのめかしている。この劇は多くの資料から成り立っているが、フレインの言うように、この部分だけは彼の創作だろう。今書いたことはある種のネタバレなのだが、この劇はネタバレによって失われるものは少ない。私はこの文章を書くために都合、3回、劇を読んだが、何度読んでも言葉の波に翻弄され、新たな体験をする。結末は必ずしも重要ではない。
最後に、不確定性原理を量子以外の世界に適応する是非について、書いておかねばならない。私が不確定性原理を知ったのは1970年代末だったが、当時は文学の世界ではロラン・バルトなどの構造主義のすぐ後ろに脱構築の足音が迫っているという時代だった。その頃、英文学を研究していた私は、「量子のふるまいは観察者の状態によって決まる」という不確定性原理に、文学のテクストは読まれることによって初めて意味を持つという当時の文学論との共通点を感じた。それからハイゼンベルクの自伝『部分と全体』を読み、その哲学的思索に魅せられるようになったのだが、その一方で、理系の人々が、不確定性原理は文系の人が考えるようなものではないと主張していることもわかった。
『コペンハーゲン』は不確定性原理を人間にあてはめているという点で、すでに理系を離れ、文系人間の不確定性原理になっているが、フレインは「作者あとがき」で次のように述べている、「不確定性という概念が、日常語に転化した科学的発想の一つであり、もともとの意味を失ってしまうほどに一般化していることは事実です」。『コペンハーゲン』に登場するハイゼンベルクは、天才でありながら、自分が見えていない子供のような人物でもある。その不確定性は、物語を愛する文系人間を永遠に魅了してやまないだろう。
追記 『コペンハーゲン』は日本でも舞台で上演されているが、私は見ていない。また、この劇は2002年にイギリスでドラマ化され、ダニエル・クレイグがハイゼンベルクを演じている。
関連図書(和書のみ)
『部分と全体――私の生涯の偉大な出会いと対話』ヴェルナー・ハイゼンベルク著 みすず書房(1974年)
『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか――連合国が最も恐れた男 天才ハイゼンベルクの闘い』(上・下)トマス・パワーズ著 福武書店(1994年)
同、文庫版(上・下) ベネッセ(1995年)
『不確定性――ハイゼンベルクの生涯と科学』デヴィッド・C・キャシディ著 白揚社(1998年)
(新藤純子)
『コペンハーゲン』
マイケル・フレイン著 小田島恒志訳 ハヤカワ演劇文庫 2010年
1994年の猛暑の夏、涼を求めてドトールやカフェ・ベローチェをハシゴしながら、私が夢中になって読んでいた1冊の分厚い洋書があった。大判で600ページにもおよぶその本は、デヴィッド・C・キャシディというアメリカの物理学者が書いた『Uncertainty: The Life and Science of Werner Heisenberg』(1992年出版)――1920年代、量子力学という新しい分野で不確定性原理という理論を生み出したドイツの天才物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクの伝記である(翻訳は4年後の1998年に『不確定性――ハイゼンベルクの科学と生涯』として出版された)。
それはまるで小説のように面白い本だった。20世紀のはじめにドイツに生まれた若き天才が、コペンハーゲンの物理学者ニルス・ボーアのもとに集まった同世代の若い科学者たちと量子力学を研究し、画期的な理論を打ち立て、ノーベル賞を受賞。しかし、ナチスが台頭した30年代には、仲間のユダヤ人科学者たちは次々と亡命、反ナチのハイゼンベルクも亡命をすすめられたが、彼はドイツに残り、やがて、ナチスのもとで研究者としての地位を得る。
ハイゼンベルクのこのような生涯は、『部分と全体』という自伝もあり、すでに知られたことではあったが、キャシディの本はハイゼンベルクをまるで小説の主人公のように描いていた。特に、ボーアや仲間たちとの研究からすばらしい成果を上げた光り輝く青春時代が、やがてナチスの台頭によって悲劇の時代となり、純粋な学問だった原子物理学が原爆という最悪の結果をもたらすという史実は、楽園喪失のドラマそのものだった。若き日のハイゼンベルクを物理学の英雄として崇拝するキャシディは、ナチスの時代に亡命もせず、反ナチ活動もしなかった彼を許せなかった。キャシディにとって、ナチス時代のハイゼンベルクは堕ちた英雄である。伝記の後半はハイゼンベルクへの批判の言葉が多くなり、前半のわくわくするような筆致は影をひそめてしまう。
理系が苦手な私が、この本を――ハイゼンベルクの生涯だけでなく、量子力学の難解な解説や数式も多数含むこの長大な本をわざわざ原書で読もうと思ったのは、94年春に翻訳が出版されたトマス・パワーズ著『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか――連合国が最も恐れた男 天才ハイゼンベルクの闘い』を読んだためである。アメリカのジャーナリスト、パワーズは、ナチスのもとで原爆製造にかかわっていたのではないかと疑われたハイゼンベルクについて、実は彼は、ナチスの原爆製造を阻止するためにドイツにとどまり、原爆製造は無理であると上層部に思い込ませることで、ナチスが原爆を手に入れることを防いだのだと主張する。ハイゼンベルクがドイツで原爆の研究をしていなかったことはすでに証明されているが、それは単に、ドイツの科学が遅れていたからだというそれまでの定説に対し、パワーズはハイゼンベルクが積極的に原爆製造を阻止したのだと論じる。そして、返す刀で、ロス・アラモスで原爆製造を成し遂げ、広島と長崎に投下してしまったアメリカを批判している(アメリカではいまだに、原爆投下は終戦を早め、犠牲者を減らしたという論が主流であることを考えると、アメリカ人のパワーズによるこの本の異端ぶりがわかるだろう。当時、スミソニアン博物館が原爆投下の被害に関する展示を行なおうとしていたが、国内の強い反発にあい、規模の縮小を余儀なくされるということがあった)。
パワーズの本はミステリーのように面白いノンフィクションで、翻訳もこなれて読みやすかった。ただ、翻訳を読んだだけで誤訳や訳抜けがわかる箇所があり、気になった私は原書『Heisenberg's War』(1993年出版)を購入、本を開いてみて、驚いた。原書には膨大な注がついていて、しかも注の文章が非常に長い。これほど長い注はもはや注ではなく、本文の一部であり、ここがあるかないかで本の内容が違ってくるとさえ思えた。また、結末の部分が原書と翻訳では内容が大きく違っていたが、これは著者がどこかで本文を差し替えたのかもしれない(翻訳の方が原爆投下を非難するトーンが強い)。
そして、翻訳では省略された注の部分から、このパワーズの本が前述のキャシディのハイゼンベルクの伝記に対する反論であることがわかったのである。キャシディは、ハイゼンベルクが基本的に反ナチであること、ユダヤ人科学者の亡命に尽力したことは認めたが、積極的に反ナチ活動をしなかったという点で、彼を強く非難していた。それに対し、パワーズは、ハイゼンベルクは積極的にナチスの原爆製造を阻止したのだ、という反論を展開したわけである。
前説が長くなったが、マイケル・フレインの劇『コペンハーゲン』(初演1998年、ロンドン)は、「作者あとがき」にもあるように、1992年と93年に相次いで出版されたキャシディの伝記とパワーズのノンフィクションの影響を強く受けている。特にパワーズの『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか』から多大なインスピレーションを受けたことは明らかで、フレインは「私はこの本を、特に他の劇作家や映画の脚本家に推薦します。ここにはさらに何本かの戯曲や映画を作る材料が揃っているからです」と述べている。
ハイゼンベルクは原爆の研究に対し、どのような態度をとっていたのか。その疑問は、1941年、ハイゼンベルクがドイツ占領下のデンマーク、コペンハーゲンへ行き、かつての恩師ボーアの家を訪ねた1日に集約される。その日、ハイゼンベルクがボーアを訪ねたのは事実であり、そこでハイゼンベルクはボーアにあることを告げ、それが2人を決裂させたことも事実である。その日を境に、ハイゼンベルクはボーアをはじめとするかつての仲間たちから完全に敵とみなされ、戦後も彼らから許されることはなかった。
あのとき、ハイゼンベルクがボーアに何を言ったのかは明らかになっていない。戦後になって、ハイゼンベルクは「一物理学者に、原子力エネルギーの実践的活用を研究する道徳上の権利はあるのでしょうか」と言ったのだと語ったが、ボーアはそれを否定。数年たつ間に記憶が変容することを考えると、事実は闇の中である。
フレインはこの問題の1日を、ボーアと夫人のマルグレーテ、そしてハイゼンベルクの3人の台詞で構成していく。時代は現代で、3人はすでに幽霊になっているが、その語りの中で、彼らは1941年のあの日に帰る。ハイゼンベルクがボーアの家へやってきて、扉をたたく。ボーアが彼を迎える。
ボーア やあ、ハイゼンベルク君!
ハイゼンベルク こんにちは、ボーア先生!
ボーア さあ、入った、入った……
このやりとりは劇中、何度も繰り返される。ボーアの家には盗聴器が仕掛けられていたので、2人は外へ散歩に出る。そこで何が語られたのか。ボーアとハイゼンベルクとマルグレーテは記憶をたどりながら、さまざまなことを語る。全2幕の劇のうち、第1幕はおもに、パワーズが『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか』で主張したことがドラマの基本となっている。すなわち、ハイゼンベルクはナチスが原爆を持つことを防ぐためにドイツに残り、研究者としての地位を得て、原爆製造が不可能であると上層部に思わせ続けたのだということ。それに対し、アメリカへ亡命した科学者たちはドイツが原爆を持つことを恐れて原爆製造に全力を注いだこと。そして、ハイゼンベルクがボーアに言いたかったのは、自分たちがドイツで原爆製造を阻止するから、連合国の科学者たちにもそうしてほしいということだったのだということ。
第2幕になると、時代は1920年代にさかのぼり、コペンハーゲンのボーアの研究所に集まった若き科学者たちが原子物理学について喧々諤々の議論をした日々が回想される。ボーアとハイゼンベルクとの間には父と息子のような絆が生まれ、それはまさに黄金時代だった。第2幕の後半では、原子爆弾の実現にはどれだけのウランが必要であるかについての議論がかわされる。ハイゼンベルクをはじめ、科学者たちは大量のウランが必要なので原爆製造は無理だと思っていた。しかし、連合国側の2人の科学者がやがて正しい計算をし、原爆製造にはそれほど多くのウランは必要ないことがわかる。ハイゼンベルクほどの天才がなぜ、そのことに気づかなかったのか。気づいていたけれど、ナチスに原爆を作らせないために隠していたのか。あるいは、原爆を作りたくないという無意識が、彼が正しい計算をするのを邪魔したのか。
ふたたび、前説に戻ろう。パワーズのノンフィクションを読んだとき、私が感じたのは、ハイゼンベルクが積極的にナチスの原爆製造を阻止したというのはいくらなんでも話ができすぎているということだった。かといって、キャシディの伝記に代表されるハイゼンベルク非難――彼は時代に流されてナチスに協力する形になったが、原爆の研究に関してはまったく無能であり、それゆえにナチスは原爆製造を断念したのだという考え方も納得できなかった。真相はおそらくその中間にあると思った。ハイゼンベルクは積極的に原爆製造を阻止したわけではなかったが、原爆を作りたくないという消極的な気持ちが結果的にナチスの原爆製造を阻止したのだろう、ということである。
『コペンハーゲン』もこの結論(おそらくは世界中の読者の結論)を基本にしている。ハイゼンベルクは無意識のうちに原爆を拒否する行動をとったが、彼自身はそのことがわかっていないので、戦後、不可解な発言をし、真相は闇の中になっているという考え方を打ち出している。そしてフレインは、ハイゼンベルクのこのような状態を、ハイゼンベルク自身の不確定性原理のたとえで説明していく。すなわち、量子には粒子と波動の両方の特性があり、どちらになるかは観察者の状態によって決まる。言い換えれば、ある事柄を完全に客観的に見ることは不可能で、それは見る人によって違うということ。
ハイゼンベルクの行動が見る人によって違って見えるということ、そしてなにより、本人も自分のことがよくわかっていないということを描くために、フレインは3人の登場人物を極力、本物に近づけたようだ。3人がどのような話し方をするかを調べ、台詞も実際に発言したことをもとにしている。恣意的な創作といえる部分は、こうした事柄をいかに組み合わせて並べるかというところだが、そこも、簡単に作者の意図が読めるような構成はしていない。むしろ、台詞は量子のようにいくつものスリットをすり抜け、姿を変え、読者を翻弄する。中心となる物語の合間に何度も繰り返される、水死したボーアの息子、人間の魂の闇だというハムレットの居城エルシノア、ポーカーの想像上のストレートといったイメージが、しだいに物語の核に結びついていく。
『コペンハーゲン』の結末は、ハイゼンベルクとボーアが”話し合わなかった”ことの重要性を語っている。ハイゼンベルクが原爆の可能性を口にしたとき、ボーアがそれ以上の話し合いを拒否し、2人が決裂したことで、世界が救われたという可能性を、この劇はほのめかしている。この劇は多くの資料から成り立っているが、フレインの言うように、この部分だけは彼の創作だろう。今書いたことはある種のネタバレなのだが、この劇はネタバレによって失われるものは少ない。私はこの文章を書くために都合、3回、劇を読んだが、何度読んでも言葉の波に翻弄され、新たな体験をする。結末は必ずしも重要ではない。
最後に、不確定性原理を量子以外の世界に適応する是非について、書いておかねばならない。私が不確定性原理を知ったのは1970年代末だったが、当時は文学の世界ではロラン・バルトなどの構造主義のすぐ後ろに脱構築の足音が迫っているという時代だった。その頃、英文学を研究していた私は、「量子のふるまいは観察者の状態によって決まる」という不確定性原理に、文学のテクストは読まれることによって初めて意味を持つという当時の文学論との共通点を感じた。それからハイゼンベルクの自伝『部分と全体』を読み、その哲学的思索に魅せられるようになったのだが、その一方で、理系の人々が、不確定性原理は文系の人が考えるようなものではないと主張していることもわかった。
『コペンハーゲン』は不確定性原理を人間にあてはめているという点で、すでに理系を離れ、文系人間の不確定性原理になっているが、フレインは「作者あとがき」で次のように述べている、「不確定性という概念が、日常語に転化した科学的発想の一つであり、もともとの意味を失ってしまうほどに一般化していることは事実です」。『コペンハーゲン』に登場するハイゼンベルクは、天才でありながら、自分が見えていない子供のような人物でもある。その不確定性は、物語を愛する文系人間を永遠に魅了してやまないだろう。
追記 『コペンハーゲン』は日本でも舞台で上演されているが、私は見ていない。また、この劇は2002年にイギリスでドラマ化され、ダニエル・クレイグがハイゼンベルクを演じている。
関連図書(和書のみ)
『部分と全体――私の生涯の偉大な出会いと対話』ヴェルナー・ハイゼンベルク著 みすず書房(1974年)
『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか――連合国が最も恐れた男 天才ハイゼンベルクの闘い』(上・下)トマス・パワーズ著 福武書店(1994年)
同、文庫版(上・下) ベネッセ(1995年)
『不確定性――ハイゼンベルクの生涯と科学』デヴィッド・C・キャシディ著 白揚社(1998年)
(新藤純子)
BookJapan書評「最初の人間」
カミュの遺作『最初の人間』を読む
『最初の人間』
アルベール・カミュ著 大久保敏彦訳 新潮社(1996年)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%96%93-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A5/dp/4105015079/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1346255111&sr=1-1
アルベール・カミュの未完の遺作であり、自伝的小説である『最初の人間』が映画化され、絶版になっていた本書が10月に文庫で復刊されることになった。
カミュといえば『異邦人』や『ペスト』のような代表作はいまだに多くの読者をひきつけているが、未完の小説というよりは書きかけの草稿といった方が適切な『最初の人間』は日本ではあまり読む人もいなかったのか、絶版になっていたようだ。中学時代にカミュの愛読者であった私も恥ずかしながら本書は読んでおらず、今回は図書館のお世話になった。新潮文庫は絶版速度がことのほか速いので、文庫が出たらすぐ買うつもりである。
本書はカミュの自伝的小説ということで、主人公ジャック・コルムリイの体験はかなりの部分が著者の体験を反映しているらしい。第一次世界大戦が始まる直前にアルジェリア移民の息子として生まれたジャックは、生後1年もしないうちに父親を戦争で失う。母親は祖母と叔父のもとに身を寄せて2人の息子(ジャックと兄)を養うが、兄についての話はあまり出てこない。ジャックの家は祖母も叔父も母親も読み書きができず、母親は聴覚障害者で、叔父にも障害がある。教養もなく貧しい彼らは、子供は小学校を出たら働くものだと思っていて、ジャックもそうなるはずだったのだが、彼の優秀さを認めた小学校教師が奨学金を得てリセに進学することを薦め、祖母たちを説得してくれる。
カミュ自身、このような貧しい家に生まれ、小学校教師ジェルマンのおかげでリセに進学し、大学まで進んで作家になったという背景がある。本書の最後に、カミュとジェルマンの間でかわされた2通の手紙が掲載されているが、こうした運命の偶然がなければ、カミュはアルジェリアの貧しさの中に埋没してしまったのかもしれない。
本書には個人の努力とか自己責任とかいった言葉ではどうにもならない過酷な世界が描かれている。生きるためにただひたすら労働に従事する人々。トイレに落ちた硬貨を探して手を突っ込む祖母。きびしい労働に疲れ、休みたくなるたびに手を傷つけていた叔父。生活するだけで精一杯なので信仰についてもいいかげんになる現実。こうしたぎりぎりの生活を強いられている人々に、自己責任や個人の努力などという言葉は通用しない。
フランスの植民地であったアルジェリアでは、アラブ人などの先住者がフランスからの移民に凄惨な攻撃を加えていたということも書かれている。フランス人も同じことをしていたとも書かれてはいるが、ジャックが聞かされた殺戮や陵辱の事件に加え、アルジェリア独立をめぐるテロ事件もあり、ここが血と暴力と背中合わせの世界であることを示唆している。
そのような世界で育ったジャックは奨学金を得てリセへ行き、その後、おそらくフランスに渡って成功したのだろう。「第一部 父親の探索」は40歳になった彼がアルジェリアに戻り、記憶にない父親がどんな人だったかを探ろうとする。これが枠物語となり、その中で追憶の子供時代、特に小学校時代が描かれる。この追憶の部分の生き生きとして鮮やかな描写の数々が本書の魅力だ。
一方、父の探索をする現在のジャックは、母親をはじめ、さまざまな人を訪ねてまわるが、父親に関してはほとんど得るところがない。結局、父親については何もわからないまま終わる。その理由として、彼は次のように語る。
貧者の記憶というものはもうそれだけで裕福な者の記憶ほど充実していない。なぜなら貧者は滅多に生活している場所を離れないので空間における指標が少ないからだし、また一様で、灰色の生活の時間の中にも指標が少ないからである。もちろんこの上なく確実だと言えるような心の琴線に触れる記憶もあるのだが、心が苦しみや労働ですり減ってしまうので、疲労の重みの下で、それもすぐに忘れられてしまうのだ。失われた時が蘇るのは裕福な者のうちでしかない。貧者にとっては、失われた時はただ死に向かう道の漠とした道標だけである。それに、首尾よく耐えていくためには、あまりたくさんの記憶は必要ない。(p.78)
読み書きもできず、貧しさに追われて働くだけの毎日では、記憶は失われてしまうのである。記憶に残らなければその人は存在しなかったに等しくなる。こうして人々は貧しさの中に埋没し、その存在を失っていくのだ。ジャックも、そしてカミュも、小学校教師の助けがなかったら、貧しさの中に消えていったのかもしれない。
しかしながら、カミュの描くジャックの少年時代のエピソードは貧しくも豊かな体験であり、太陽の熱さや風の強さ、甘いお菓子や図書館で借りた本のインクの匂いといった五感で感じる体験をはじめ、学校や家庭や近所で起こるさまざまな出来事や事件が生き生きとした筆致で描かれている。書きかけの草稿であるためにそれらは断片的ではあるが、思わず読みふけってしまうほどの豊饒な語り口である。しかし、こうした貧しい世界の豊饒さはカミュがこの世界からステップアップしたから生まれたものなのであり、そうでなければ失われてしまったものなのだろう。
別の世界へステップアップすることによって、人は新しい世界に違和感を持ち、同時に新しい世界を知ったことでそれまでの世界にも違和感を持つ。
「第二部 息子あるいは最初の人間」では、リセに進学したジャックが描かれるが、バカンスというものを知らない祖母は夏休みに孫が遊んでいるのはけしからんと考え、アルバイトをさせる。ジャックの仕事はビルの中の事務所の手伝いである。真夏の太陽を奪われた場所で、額に汗して働くのではなく、仕事を右から左に動かすだけの作業にジャックは疑問を感じる。
現実に、長い夏は、ジャックにとって、薄暗く光のない日々とつまらない仕事のために使われてしまった。「何もしないでいるわけにはいかないんだよ」と祖母は言っていた。ジャックがまさしく何もしないでいるという印象をもったのはこの事務所の中であった。彼にとって海やクーバでの遊びは何ものにも代えがたかったが、彼は働くことを拒否はしなかった。しかし真の労働というものは、彼にとっては、例えば樽工場での仕事のようなものであり、長い筋肉労働、一連の巧みで正確な動作、あるときはきつくあるときは軽やかな手の動きであり、その努力の結果が現れるのが目に見えるような労働であった。つまり、亀裂が一つとしてなく、立派にできあがった新しい小樽、そのとき労働者たちはじっとをそれを眺めることができた。(p.233)
彼はまた、孫に短期の仕事をさせるために祖母が嘘をついたことを悩むのだが、それも含めて、このエピソードは読み応えがある。
リセに進学することで、極貧の下層社会にいたジャックは裕福な中流の世界に入っていくが、そこはジャックの下層社会の常識がまるで通用しない別世界である。そのために彼は誤解を受けることもある。リセで初めて中流の世界に触れ、その世界では自分は異邦人であることを感じ、また、中流の世界を知ることで逆に自分の世界に対しても異邦人であると感じるようになる。この感覚は、下の社会から上の社会へとステップアップした経験を持つ者なら痛いほどわかるはずだ。
カミュにとって最初の人間とは、文化的資産を持たない貧しい両親のもとに生まれ、無から出発する人間のことである。かつて、日本もそのようにして生まれ、ステップアップする人々が多数いた時代があった。それから一億総中流時代を経て、今は下流社会やワーキングプアと呼ばれる貧しい人々が問題になっている。カミュの言う最初の人間が、これからの日本には多く生まれ、そして多くが無名のまま貧しさの中に埋没していく、そういった時代になったとき、本書は新たなリアリティを持つのではないかと思う。
父の探索で物語を始めたカミュだが、彼の、そしてジャックの心の中に大きな存在としてあるのは、やはり母だ。補遺のノートで、カミュはこう書いている。
もしこの本が最初から終わりまで母親に宛てて書かれたとすれば、理想的だ――そして最後になって読者が彼女は文盲であることを知れば――そうだ、それこそ理想的なのだが。(p.268)
小説の冒頭にも「仲介者:カミュ未亡人 この本を決して読むことができないであろう、あなたに」という言葉がある(p.11)。母に対して書かれた物語が、読み書きのできない母には決して読まれないという不条理が最後に現れる作品となったのかもしれない。
ちなみに、イタリア人監督ジャンニ・アメリオによる映画化(仏伊アルジェリア合作)も最終的には母への思いにすべてが集約されている。映画は第一部のエピソードの数々を巧みにアレンジし、その上で、アルジェリア問題に関するカミュの態度とノーベル文学賞受賞時の「正義より母」という発言をもとにした映画独自のフィクションで全体を完結させている。美しい映像と手堅い演出、魅力的な演技陣と、なかなか見応えのある佳品に仕上がっており、原作と映画が互いを補完しあうような面も感じられるので、原作と映画の両方を味わってほしいものだ。
(新藤純子)
『最初の人間』
アルベール・カミュ著 大久保敏彦訳 新潮社(1996年)
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E5%88%9D%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%96%93-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%AB%E3%83%9F%E3%83%A5/dp/4105015079/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1346255111&sr=1-1
アルベール・カミュの未完の遺作であり、自伝的小説である『最初の人間』が映画化され、絶版になっていた本書が10月に文庫で復刊されることになった。
カミュといえば『異邦人』や『ペスト』のような代表作はいまだに多くの読者をひきつけているが、未完の小説というよりは書きかけの草稿といった方が適切な『最初の人間』は日本ではあまり読む人もいなかったのか、絶版になっていたようだ。中学時代にカミュの愛読者であった私も恥ずかしながら本書は読んでおらず、今回は図書館のお世話になった。新潮文庫は絶版速度がことのほか速いので、文庫が出たらすぐ買うつもりである。
本書はカミュの自伝的小説ということで、主人公ジャック・コルムリイの体験はかなりの部分が著者の体験を反映しているらしい。第一次世界大戦が始まる直前にアルジェリア移民の息子として生まれたジャックは、生後1年もしないうちに父親を戦争で失う。母親は祖母と叔父のもとに身を寄せて2人の息子(ジャックと兄)を養うが、兄についての話はあまり出てこない。ジャックの家は祖母も叔父も母親も読み書きができず、母親は聴覚障害者で、叔父にも障害がある。教養もなく貧しい彼らは、子供は小学校を出たら働くものだと思っていて、ジャックもそうなるはずだったのだが、彼の優秀さを認めた小学校教師が奨学金を得てリセに進学することを薦め、祖母たちを説得してくれる。
カミュ自身、このような貧しい家に生まれ、小学校教師ジェルマンのおかげでリセに進学し、大学まで進んで作家になったという背景がある。本書の最後に、カミュとジェルマンの間でかわされた2通の手紙が掲載されているが、こうした運命の偶然がなければ、カミュはアルジェリアの貧しさの中に埋没してしまったのかもしれない。
本書には個人の努力とか自己責任とかいった言葉ではどうにもならない過酷な世界が描かれている。生きるためにただひたすら労働に従事する人々。トイレに落ちた硬貨を探して手を突っ込む祖母。きびしい労働に疲れ、休みたくなるたびに手を傷つけていた叔父。生活するだけで精一杯なので信仰についてもいいかげんになる現実。こうしたぎりぎりの生活を強いられている人々に、自己責任や個人の努力などという言葉は通用しない。
フランスの植民地であったアルジェリアでは、アラブ人などの先住者がフランスからの移民に凄惨な攻撃を加えていたということも書かれている。フランス人も同じことをしていたとも書かれてはいるが、ジャックが聞かされた殺戮や陵辱の事件に加え、アルジェリア独立をめぐるテロ事件もあり、ここが血と暴力と背中合わせの世界であることを示唆している。
そのような世界で育ったジャックは奨学金を得てリセへ行き、その後、おそらくフランスに渡って成功したのだろう。「第一部 父親の探索」は40歳になった彼がアルジェリアに戻り、記憶にない父親がどんな人だったかを探ろうとする。これが枠物語となり、その中で追憶の子供時代、特に小学校時代が描かれる。この追憶の部分の生き生きとして鮮やかな描写の数々が本書の魅力だ。
一方、父の探索をする現在のジャックは、母親をはじめ、さまざまな人を訪ねてまわるが、父親に関してはほとんど得るところがない。結局、父親については何もわからないまま終わる。その理由として、彼は次のように語る。
貧者の記憶というものはもうそれだけで裕福な者の記憶ほど充実していない。なぜなら貧者は滅多に生活している場所を離れないので空間における指標が少ないからだし、また一様で、灰色の生活の時間の中にも指標が少ないからである。もちろんこの上なく確実だと言えるような心の琴線に触れる記憶もあるのだが、心が苦しみや労働ですり減ってしまうので、疲労の重みの下で、それもすぐに忘れられてしまうのだ。失われた時が蘇るのは裕福な者のうちでしかない。貧者にとっては、失われた時はただ死に向かう道の漠とした道標だけである。それに、首尾よく耐えていくためには、あまりたくさんの記憶は必要ない。(p.78)
読み書きもできず、貧しさに追われて働くだけの毎日では、記憶は失われてしまうのである。記憶に残らなければその人は存在しなかったに等しくなる。こうして人々は貧しさの中に埋没し、その存在を失っていくのだ。ジャックも、そしてカミュも、小学校教師の助けがなかったら、貧しさの中に消えていったのかもしれない。
しかしながら、カミュの描くジャックの少年時代のエピソードは貧しくも豊かな体験であり、太陽の熱さや風の強さ、甘いお菓子や図書館で借りた本のインクの匂いといった五感で感じる体験をはじめ、学校や家庭や近所で起こるさまざまな出来事や事件が生き生きとした筆致で描かれている。書きかけの草稿であるためにそれらは断片的ではあるが、思わず読みふけってしまうほどの豊饒な語り口である。しかし、こうした貧しい世界の豊饒さはカミュがこの世界からステップアップしたから生まれたものなのであり、そうでなければ失われてしまったものなのだろう。
別の世界へステップアップすることによって、人は新しい世界に違和感を持ち、同時に新しい世界を知ったことでそれまでの世界にも違和感を持つ。
「第二部 息子あるいは最初の人間」では、リセに進学したジャックが描かれるが、バカンスというものを知らない祖母は夏休みに孫が遊んでいるのはけしからんと考え、アルバイトをさせる。ジャックの仕事はビルの中の事務所の手伝いである。真夏の太陽を奪われた場所で、額に汗して働くのではなく、仕事を右から左に動かすだけの作業にジャックは疑問を感じる。
現実に、長い夏は、ジャックにとって、薄暗く光のない日々とつまらない仕事のために使われてしまった。「何もしないでいるわけにはいかないんだよ」と祖母は言っていた。ジャックがまさしく何もしないでいるという印象をもったのはこの事務所の中であった。彼にとって海やクーバでの遊びは何ものにも代えがたかったが、彼は働くことを拒否はしなかった。しかし真の労働というものは、彼にとっては、例えば樽工場での仕事のようなものであり、長い筋肉労働、一連の巧みで正確な動作、あるときはきつくあるときは軽やかな手の動きであり、その努力の結果が現れるのが目に見えるような労働であった。つまり、亀裂が一つとしてなく、立派にできあがった新しい小樽、そのとき労働者たちはじっとをそれを眺めることができた。(p.233)
彼はまた、孫に短期の仕事をさせるために祖母が嘘をついたことを悩むのだが、それも含めて、このエピソードは読み応えがある。
リセに進学することで、極貧の下層社会にいたジャックは裕福な中流の世界に入っていくが、そこはジャックの下層社会の常識がまるで通用しない別世界である。そのために彼は誤解を受けることもある。リセで初めて中流の世界に触れ、その世界では自分は異邦人であることを感じ、また、中流の世界を知ることで逆に自分の世界に対しても異邦人であると感じるようになる。この感覚は、下の社会から上の社会へとステップアップした経験を持つ者なら痛いほどわかるはずだ。
カミュにとって最初の人間とは、文化的資産を持たない貧しい両親のもとに生まれ、無から出発する人間のことである。かつて、日本もそのようにして生まれ、ステップアップする人々が多数いた時代があった。それから一億総中流時代を経て、今は下流社会やワーキングプアと呼ばれる貧しい人々が問題になっている。カミュの言う最初の人間が、これからの日本には多く生まれ、そして多くが無名のまま貧しさの中に埋没していく、そういった時代になったとき、本書は新たなリアリティを持つのではないかと思う。
父の探索で物語を始めたカミュだが、彼の、そしてジャックの心の中に大きな存在としてあるのは、やはり母だ。補遺のノートで、カミュはこう書いている。
もしこの本が最初から終わりまで母親に宛てて書かれたとすれば、理想的だ――そして最後になって読者が彼女は文盲であることを知れば――そうだ、それこそ理想的なのだが。(p.268)
小説の冒頭にも「仲介者:カミュ未亡人 この本を決して読むことができないであろう、あなたに」という言葉がある(p.11)。母に対して書かれた物語が、読み書きのできない母には決して読まれないという不条理が最後に現れる作品となったのかもしれない。
ちなみに、イタリア人監督ジャンニ・アメリオによる映画化(仏伊アルジェリア合作)も最終的には母への思いにすべてが集約されている。映画は第一部のエピソードの数々を巧みにアレンジし、その上で、アルジェリア問題に関するカミュの態度とノーベル文学賞受賞時の「正義より母」という発言をもとにした映画独自のフィクションで全体を完結させている。美しい映像と手堅い演出、魅力的な演技陣と、なかなか見応えのある佳品に仕上がっており、原作と映画が互いを補完しあうような面も感じられるので、原作と映画の両方を味わってほしいものだ。
(新藤純子)
BookJapan書評「A Life of William Inge」
ある劇作家の栄光と挫折
『A Life of William Inge: The Strains of Triumph』
ラルフ・F・ヴォス著
The University Press of Kansas
http://www.amazon.co.jp/Life-William-Inge-Strains-Triumph/dp/0700604421/ref=sr_1_3?s=english-books&ie=UTF8&qid=1348243885&sr=1-3
なぜか私は、隠れゲイの作家が好きなのである。具体的に言うと、英文学のE・M・フォースター、ミステリーのコーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)、劇作家のウィリアム・インジだ。彼らはみな、ゲイであることを公にせずに作家活動をしていた。今とは違い、ゲイに対する偏見が強く、カミングアウトすることは非常に困難な時代だったのだ(インジは晩年にはカミングアウトしている)。
そんなわけで、隠れゲイの作家たちはゲイの物語を書かないのである(フォースターの同性愛小説はすべて死後に出版されている)。彼らはなぜか、物語の中心に女性を据える。1950年代くらいまでの20世紀前半の物語なので、女性は今よりずっと弱い立場にいる。女性に対する社会の抑圧も強い。多くの女性は結婚という未来に縛られていて、ほかに選択の余地があまりない。そうした女性たちを、隠れゲイの作家たちは実に魅力的に描く。フォースターは上流中産階級のヒロインたちの目覚めを描き、ウールリッチは事件に巻き込まれながらも必死で生きる健気な女性たちを生み出し、そしてインジは親の期待や保守的な道徳観に縛られながらも、そこから自立して生きようとする女性たちを描いた。彼女たちは抑圧されたマイノリティであるゲイの作家たちの分身なのだろうか。ゲイを扱った物語に女性が惹かれるのは、こうした隠れゲイの作家の描く魅力的なヒロインたちと関係があるのだろうか。そんなことをずいぶん長い間、心の片隅で考えてきた。
ウィリアム・インジ(1913-73)の伝記である本書は、残念ながら、この疑問に答えてはくれない。インジが生涯悩まされていたのはアルコール依存症とホモセクシュアリティであったと著者は述べているが、その筆致は控えめで、インジの私生活に強引に立ち入ったり、ゲイであることと作品の内容をことさらに結びつけて強調したりすることはない。インジは私生活を公にすることを嫌っていたため、彼の知人友人もそのことについてはあまり語ろうとしない、と著者は言う。そして、著者自身もインジの気持ちを尊重し、インジの残した作品に寄り添う形で伝記を執筆すると宣言している。インジには自伝的小説『むすこはすてきなドライバー』があり、これが若き日のインジを知る手がかりとなるようだ。
インジをご存知ない方のためにここで簡単に紹介すると、インジはアメリカ中西部カンザス州に生まれ、新聞に劇評を書いていたときにテネシー・ウィリアムズと出会ったことから劇作家を志す。地方の演劇を経て1950年代にブロードウェイに進出すると、デビュー作から4作品連続ヒットという快挙を成し遂げた。この4作品はすぐに映画化され、そのうちウィリアム・ホールデン主演の『ピクニック』とマリリン・モンロー主演の『バス停留所』は今でもDVDでよく見られている。そして1961年の映画『草原の輝き』のオリジナル脚本でアカデミー賞を受賞。しかし、このあと、ヒット作が書けなくなり、映画化もされた『さようなら、ミス・ワイコフ』で小説家への転進をはかるがこれもうまくいかず、失意のうちに自ら命を絶った。小説『さようなら、ミス・ワイコフ』と『むすこはすてきなドライバー』は70年代に新潮社から翻訳出版されたといえば、日本でもかつてはインジが著名な劇作家だったことがわかるだろう。
伝記の冒頭で、著者は少年時代に見た2本の映画『ピクニック』と『草原の輝き』の思い出を語る。インジと同じカンザス州に生まれ育った著者にとって、『ピクニック』に登場するカンザスの風景はなじみのものばかりだった。ご当地映画ということで、カンザスの映画館は大盛況。幼かった著者は原作者の名前を記憶しなかったが、数年後、『草原の輝き』を見て、インジの名前を知る。この映画もカンザスが舞台である。『オズの魔法使い』の平原と竜巻しか知られていなかったカンザスが、映画の中で普通の人々の住む世界として登場する。カンザス人である著者にとって、インジは何よりもまず、カンザスを描くカンザスの作家だった。
序文で原体験を語ったあと、著者はインジの生涯を両親の代からたどっていく。セールスマンだったために不在がちだった父への反発、結婚を後悔しつつも子供を何人も産んだ母への愛、少年時代からすでに自分がゲイであることを意識していたが、保守的な田舎町に住む母が息子がゲイだと知ったらショックを受けるだろうという思いから、そのことを隠し続けたこと。不眠症が原因でアルコール依存症となり、断酒の会にも参加していたこと。そして1950年代の成功と60年代からの転落。だが、はたから見れば、インジの人生はそれほど悲惨なものではない。父への反発があったものの、家庭的には不幸ではなく、大不況のさなかに大学院にまで進学させてもらえている。その後のキャリアも順調で、ヒット作が書けなくなったあともお金には不自由していない。そんな彼を自殺に追い込んだのは、頂点をきわめたあとの失意と絶望だった。アルコール依存症とゲイであることの重荷、そしてよい作品が書けないことから来る生きる意味の喪失。副題の「Strains of Triumph」はエミリー・ディキンソンの詩の一節「(遠くの)勝利の調べ」から来ているが、この英語は「勝利の重荷」とも読める。
カンザスや中西部の田舎町を舞台に普通の人々のドラマを描くインジの劇は、50年代には大ヒットするが、60年代にはもはや人気を得られなくなる。インジ自身、時代の変化を感じて違う作風をめざすが、まったく成功しない。「時代が変わり、人の好みも変わる」と著者は何度も書いているが、まさにそうとしか言いようがないのだ。その一方で、インジの映画化作品はテレビやビデオ類でよく見られていること、インジの劇はアマチュアの劇団によってよく上演されていることも指摘する。そして、カンザスという一地方を舞台にした彼の物語が、そうした地方性を超えた普遍性を獲得していることも指摘する。これこそ、私がインジの劇や映画について感じてきたことなのだ。インジの描く世界は確かに古い。女性は玉の輿が一番とか、女性は婚前交渉はご法度とか、古い道徳観に縛られた世界なのだが、その一方で、親の価値観に縛られ、親の期待におしつぶされそうになっている若い男女が自立していく姿には時代を超えた普遍性がある。都会ではなく田舎だからこその普遍性もあり、それも、個性の強い南部ではなく中西部のカンザス州だからこその普遍性がある。
本書で面白かったのは『ピクニック』をはじめとする代表作の裏話である。特に『ピクニック』はインジの書いた結末が演出家や出演者の気に入らず、心ならずもハッピーエンドに変えてしまったという話は興味深い。『ピクニック』は演出家のジョシュア・ローガンがそのまま映画化の監督になったが、この映画のラストシーンは名シーンとして名高い。だが、インジの考えた最初の結末ではこのシーンはあり得なかったのだ。いや、むしろ、オリジナルのままでは劇はヒットしなかった可能性が高い。これでインジはローガンとうまくいかなくなったが、のちに『草原の輝き』でも監督のエリア・カザンがインジに断りなく脚本の一部を変えたために仲が悪くなったという。インジには申し訳ないが、ローガンやカザンのおかげで名作になった可能性は捨てきれない。また、劇は小説とは違い、演出家や出演者たちと何ヶ月もかけて作り上げていくのだということや、地方で上演して反応を見ながら劇を仕上げ、最終的にブロードウェイへ持っていく過程などが具体的にわかるのも面白かった。アカデミー賞授賞式でのインジのエピソードも楽しい。著者は英文学の教授だが、決してアカデミズムのかたい研究書としての伝記ではなく、かといって扇情的な評伝でもない、バランスのとれた読みやすい伝記となっている。何よりも、インジの世界を愛する著者がインジの物語を愛する読者に向けて書いていると感じられるのがファンとしてうれしいのだ。
(新藤純子)
『A Life of William Inge: The Strains of Triumph』
ラルフ・F・ヴォス著
The University Press of Kansas
http://www.amazon.co.jp/Life-William-Inge-Strains-Triumph/dp/0700604421/ref=sr_1_3?s=english-books&ie=UTF8&qid=1348243885&sr=1-3
なぜか私は、隠れゲイの作家が好きなのである。具体的に言うと、英文学のE・M・フォースター、ミステリーのコーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)、劇作家のウィリアム・インジだ。彼らはみな、ゲイであることを公にせずに作家活動をしていた。今とは違い、ゲイに対する偏見が強く、カミングアウトすることは非常に困難な時代だったのだ(インジは晩年にはカミングアウトしている)。
そんなわけで、隠れゲイの作家たちはゲイの物語を書かないのである(フォースターの同性愛小説はすべて死後に出版されている)。彼らはなぜか、物語の中心に女性を据える。1950年代くらいまでの20世紀前半の物語なので、女性は今よりずっと弱い立場にいる。女性に対する社会の抑圧も強い。多くの女性は結婚という未来に縛られていて、ほかに選択の余地があまりない。そうした女性たちを、隠れゲイの作家たちは実に魅力的に描く。フォースターは上流中産階級のヒロインたちの目覚めを描き、ウールリッチは事件に巻き込まれながらも必死で生きる健気な女性たちを生み出し、そしてインジは親の期待や保守的な道徳観に縛られながらも、そこから自立して生きようとする女性たちを描いた。彼女たちは抑圧されたマイノリティであるゲイの作家たちの分身なのだろうか。ゲイを扱った物語に女性が惹かれるのは、こうした隠れゲイの作家の描く魅力的なヒロインたちと関係があるのだろうか。そんなことをずいぶん長い間、心の片隅で考えてきた。
ウィリアム・インジ(1913-73)の伝記である本書は、残念ながら、この疑問に答えてはくれない。インジが生涯悩まされていたのはアルコール依存症とホモセクシュアリティであったと著者は述べているが、その筆致は控えめで、インジの私生活に強引に立ち入ったり、ゲイであることと作品の内容をことさらに結びつけて強調したりすることはない。インジは私生活を公にすることを嫌っていたため、彼の知人友人もそのことについてはあまり語ろうとしない、と著者は言う。そして、著者自身もインジの気持ちを尊重し、インジの残した作品に寄り添う形で伝記を執筆すると宣言している。インジには自伝的小説『むすこはすてきなドライバー』があり、これが若き日のインジを知る手がかりとなるようだ。
インジをご存知ない方のためにここで簡単に紹介すると、インジはアメリカ中西部カンザス州に生まれ、新聞に劇評を書いていたときにテネシー・ウィリアムズと出会ったことから劇作家を志す。地方の演劇を経て1950年代にブロードウェイに進出すると、デビュー作から4作品連続ヒットという快挙を成し遂げた。この4作品はすぐに映画化され、そのうちウィリアム・ホールデン主演の『ピクニック』とマリリン・モンロー主演の『バス停留所』は今でもDVDでよく見られている。そして1961年の映画『草原の輝き』のオリジナル脚本でアカデミー賞を受賞。しかし、このあと、ヒット作が書けなくなり、映画化もされた『さようなら、ミス・ワイコフ』で小説家への転進をはかるがこれもうまくいかず、失意のうちに自ら命を絶った。小説『さようなら、ミス・ワイコフ』と『むすこはすてきなドライバー』は70年代に新潮社から翻訳出版されたといえば、日本でもかつてはインジが著名な劇作家だったことがわかるだろう。
伝記の冒頭で、著者は少年時代に見た2本の映画『ピクニック』と『草原の輝き』の思い出を語る。インジと同じカンザス州に生まれ育った著者にとって、『ピクニック』に登場するカンザスの風景はなじみのものばかりだった。ご当地映画ということで、カンザスの映画館は大盛況。幼かった著者は原作者の名前を記憶しなかったが、数年後、『草原の輝き』を見て、インジの名前を知る。この映画もカンザスが舞台である。『オズの魔法使い』の平原と竜巻しか知られていなかったカンザスが、映画の中で普通の人々の住む世界として登場する。カンザス人である著者にとって、インジは何よりもまず、カンザスを描くカンザスの作家だった。
序文で原体験を語ったあと、著者はインジの生涯を両親の代からたどっていく。セールスマンだったために不在がちだった父への反発、結婚を後悔しつつも子供を何人も産んだ母への愛、少年時代からすでに自分がゲイであることを意識していたが、保守的な田舎町に住む母が息子がゲイだと知ったらショックを受けるだろうという思いから、そのことを隠し続けたこと。不眠症が原因でアルコール依存症となり、断酒の会にも参加していたこと。そして1950年代の成功と60年代からの転落。だが、はたから見れば、インジの人生はそれほど悲惨なものではない。父への反発があったものの、家庭的には不幸ではなく、大不況のさなかに大学院にまで進学させてもらえている。その後のキャリアも順調で、ヒット作が書けなくなったあともお金には不自由していない。そんな彼を自殺に追い込んだのは、頂点をきわめたあとの失意と絶望だった。アルコール依存症とゲイであることの重荷、そしてよい作品が書けないことから来る生きる意味の喪失。副題の「Strains of Triumph」はエミリー・ディキンソンの詩の一節「(遠くの)勝利の調べ」から来ているが、この英語は「勝利の重荷」とも読める。
カンザスや中西部の田舎町を舞台に普通の人々のドラマを描くインジの劇は、50年代には大ヒットするが、60年代にはもはや人気を得られなくなる。インジ自身、時代の変化を感じて違う作風をめざすが、まったく成功しない。「時代が変わり、人の好みも変わる」と著者は何度も書いているが、まさにそうとしか言いようがないのだ。その一方で、インジの映画化作品はテレビやビデオ類でよく見られていること、インジの劇はアマチュアの劇団によってよく上演されていることも指摘する。そして、カンザスという一地方を舞台にした彼の物語が、そうした地方性を超えた普遍性を獲得していることも指摘する。これこそ、私がインジの劇や映画について感じてきたことなのだ。インジの描く世界は確かに古い。女性は玉の輿が一番とか、女性は婚前交渉はご法度とか、古い道徳観に縛られた世界なのだが、その一方で、親の価値観に縛られ、親の期待におしつぶされそうになっている若い男女が自立していく姿には時代を超えた普遍性がある。都会ではなく田舎だからこその普遍性もあり、それも、個性の強い南部ではなく中西部のカンザス州だからこその普遍性がある。
本書で面白かったのは『ピクニック』をはじめとする代表作の裏話である。特に『ピクニック』はインジの書いた結末が演出家や出演者の気に入らず、心ならずもハッピーエンドに変えてしまったという話は興味深い。『ピクニック』は演出家のジョシュア・ローガンがそのまま映画化の監督になったが、この映画のラストシーンは名シーンとして名高い。だが、インジの考えた最初の結末ではこのシーンはあり得なかったのだ。いや、むしろ、オリジナルのままでは劇はヒットしなかった可能性が高い。これでインジはローガンとうまくいかなくなったが、のちに『草原の輝き』でも監督のエリア・カザンがインジに断りなく脚本の一部を変えたために仲が悪くなったという。インジには申し訳ないが、ローガンやカザンのおかげで名作になった可能性は捨てきれない。また、劇は小説とは違い、演出家や出演者たちと何ヶ月もかけて作り上げていくのだということや、地方で上演して反応を見ながら劇を仕上げ、最終的にブロードウェイへ持っていく過程などが具体的にわかるのも面白かった。アカデミー賞授賞式でのインジのエピソードも楽しい。著者は英文学の教授だが、決してアカデミズムのかたい研究書としての伝記ではなく、かといって扇情的な評伝でもない、バランスのとれた読みやすい伝記となっている。何よりも、インジの世界を愛する著者がインジの物語を愛する読者に向けて書いていると感じられるのがファンとしてうれしいのだ。
(新藤純子)
BookJapan書評「格差と序列の心理学」
格差と不平等を望むのは誰か
『格差と序列の心理学 平等主義のパラドクス』
池上知子著
ミネルヴァ書房
一億総中流時代はすでに過去のものとなり、いまやワーキングプアをはじめ、さまざまな格差と不平等が問題化している日本。不安定な雇用や低賃金の生活に追いやられ、ひとたび貧困層に落ちるともはや自力で這い上がるのはむずかしく、ワーキングプアの子供はワーキングプアになるしかないという貧困の連鎖が予想されているが、こうした人々に対して、それは自己責任だと言う意見もあとを絶たない。
こうした個人の努力ではどうにもならない格差や不平等はなぜ是正されないのだろうか。誰がこうした格差や不平等を望んでいるのだろうか。社会的に恵まれた人々が既得権益を守ろうとして、不平等な社会を支持しているのだろうか。
いや、そうではない。不平等な社会を支持しているのは、実は、平等を願う人々であり、その中には格差と不平等に苦しむ恵まれない人々も含まれる、と、本書の著者、池上知子・大阪市立大学大学院教授は語る。
「平等主義的信条が強いほど、人々は理不尽で不条理な現実から目をそらし心理的安寧を得ようとする。不平等や格差を合理化したり、「平等」が達成されているかのような幻想を作り出したりするのである。(中略)平等主義を阻む真の敵は、「平等」を願う人々の心の中に潜んでいることを解き明かすこと、それが本書のねらいであった。」
上の引用は本書の一番最後の部分、「おわりに」の冒頭部分に書かれた言葉である。本書は文章が横書きで、文体も研究論文的、英文和訳のような生硬な文章が並んでいるが、この「おわりに」の部分は平易な文章で書かれ、読みやすい。本書に興味を持った方は、まず、この「おわりに」から読み始めるとよいのではないかと思う。
本書の前半はおもに北米(アメリカとカナダ)の研究を紹介しながら、格差社会を生み、それを支えるイデオロギーと人間心理を解説している。北米の調査の結果であるので、白人と黒人の人種問題など、日本の現実とかけ離れた部分もあるが、貧困と女性差別を例にあげている部分はわかりやすい。
なぜ人々は格差と不平等を是正しようとしないのか。その理由は、人間というものは現行の社会システムを肯定したいという傾向が強いからだ、と著者は指摘する。しかも、その傾向は、格差と不平等で利益を得ている人々だけでなく、不利益をこうむっている人々にも見られるのだという。著者の引用する北米の調査では、たとえば、貧しい人々は貧困は自己責任だと思うことで、生きることが楽になるのだそうだ。また、女性は自分の能力を男性より低く評価する傾向が強い、という調査結果もある。しかもこの調査はアメリカの一流大学、エール大学での調査である。高い能力を持った女子大生でさえも、自分は男性より劣ると考えることで、男性は女性より優れているという社会通念を肯定しているのだ。
つまり、人間は現行の社会システムを肯定した方が楽に生きられるので、そのシステムがどんなに理不尽でもそれを肯定するような考え方をしてしまうのである。
現行の社会システムにある格差や不平等を肯定する心理として、著者は公正的世界観と相補的世界観の2つをあげる。公正的世界観はいわゆる因果応報のことで、不運な人や不幸な人は何か悪いことをしたに違いないという考え方。一方、相補的世界観とは、「金持ちだけど不幸である」とか、「貧乏だけど幸せ」といった、プラスとマイナスの2つの要素を結びつける考え方である。現実には「金持ちだけど不幸」とは限らず、「貧乏だけど幸せ」とも限らないが、このようにプラスとマイナスの要素を結びつけることで、人は平等の幻想を抱き、不平等な世界を受け入れる。この相補的世界観はあらゆる場面に見られるもので、しかも、公正的世界観のようないやな感じがなく、それだけに、この相補的世界観を心地よいものとして受け入れてしまい、不平等がごまかされてしまうことに気づかされる。たとえば、男女差別についても、昔は一方的に女性は劣るものとして差別されていたが、現在は女性はこういうところが男性より優れているとして女性を持ち上げた上で、男女の役割を分けてしまうという形の性差別になっているようだ。こうした相補的世界観は現状を認める方向に行ってしまうので、社会改革にはつながりにくい。
本書の後半では、日本社会の典型的な序列である学歴について、著者のリサーチをもとに、現代日本における格差・不平等問題が語られる。日本にはイギリスのような階級がなく、そのかわり学歴による階級があるが、日本人が学歴を意識するようになった1970年代には、高卒と大卒の間に経済的格差はほとんどなかったのだという。しかし、現在では学歴、特に大学名による序列が就職その他、人生のすべてを決定してしまうようになり、しかもその学歴(学校歴)は18歳のときの大学入試の結果がすべてであるという不平等を生み出している。
そうした中で、学歴が人間の心理にどのような影響を及ぼしているか、著者は中位大学の学生を対象に、彼らが自分の大学より上位の大学と下位の大学に対してどのような感情を持つかを調査・分析している。ここでも相補的世界観は健在で、「上位大学の学生は能力は高いが人間としては冷たい」、「下位大学の学生は能力は低いが人間としては暖かい」と感じる傾向が強いという結果が出ている。また、自分の大学への帰属意識が濃いか薄いかで、上位大学や下位大学への感情が変わるという点も非常に興味深い。日本では希望の大学に入学できず、しかたなく滑り止めの大学に入った学生は少なくないと思うが、「もっと上の大学に入れたはずなのに」と思っている学生の下位大学への感情にはきわめて極端な反応が出ている。
最後に著者は、「階層が固定されている社会、固定されていると信じられている社会ほど、不本意なアイデンティティを形成する人間を生み出しやすい」、「集団間の序列が固定的で変動しにくいほど、集団の構成メンバーは集団間の序列に敏感になり、不満や劣等感を抱きやすくなる」と結論づける。そして、「階層が固定されていないと信じられている社会においては(中略)集団への所属への不本意感は、階層システム自体への懐疑の表明であり、既存の構造の改変を動機づける原動力になる」。しかし、「現行の階層システムは変わらないものと信じれば、階層構造はますます固定化される方向に進む」。現在の日本がどちらであるかは言うまでもないだろう。
本書は本文が170ページほどと、研究テーマの奥を深めたものとは言えない。しかし、相補的世界観によって理不尽な不平等社会を肯定してしまう人間心理についてなど、考えさせられる部分が多い。新書のような読みやすさはないが、じっくりと向き合い、考えるきっかけとしたい本である。
(新藤純子)
『格差と序列の心理学 平等主義のパラドクス』
池上知子著
ミネルヴァ書房
一億総中流時代はすでに過去のものとなり、いまやワーキングプアをはじめ、さまざまな格差と不平等が問題化している日本。不安定な雇用や低賃金の生活に追いやられ、ひとたび貧困層に落ちるともはや自力で這い上がるのはむずかしく、ワーキングプアの子供はワーキングプアになるしかないという貧困の連鎖が予想されているが、こうした人々に対して、それは自己責任だと言う意見もあとを絶たない。
こうした個人の努力ではどうにもならない格差や不平等はなぜ是正されないのだろうか。誰がこうした格差や不平等を望んでいるのだろうか。社会的に恵まれた人々が既得権益を守ろうとして、不平等な社会を支持しているのだろうか。
いや、そうではない。不平等な社会を支持しているのは、実は、平等を願う人々であり、その中には格差と不平等に苦しむ恵まれない人々も含まれる、と、本書の著者、池上知子・大阪市立大学大学院教授は語る。
「平等主義的信条が強いほど、人々は理不尽で不条理な現実から目をそらし心理的安寧を得ようとする。不平等や格差を合理化したり、「平等」が達成されているかのような幻想を作り出したりするのである。(中略)平等主義を阻む真の敵は、「平等」を願う人々の心の中に潜んでいることを解き明かすこと、それが本書のねらいであった。」
上の引用は本書の一番最後の部分、「おわりに」の冒頭部分に書かれた言葉である。本書は文章が横書きで、文体も研究論文的、英文和訳のような生硬な文章が並んでいるが、この「おわりに」の部分は平易な文章で書かれ、読みやすい。本書に興味を持った方は、まず、この「おわりに」から読み始めるとよいのではないかと思う。
本書の前半はおもに北米(アメリカとカナダ)の研究を紹介しながら、格差社会を生み、それを支えるイデオロギーと人間心理を解説している。北米の調査の結果であるので、白人と黒人の人種問題など、日本の現実とかけ離れた部分もあるが、貧困と女性差別を例にあげている部分はわかりやすい。
なぜ人々は格差と不平等を是正しようとしないのか。その理由は、人間というものは現行の社会システムを肯定したいという傾向が強いからだ、と著者は指摘する。しかも、その傾向は、格差と不平等で利益を得ている人々だけでなく、不利益をこうむっている人々にも見られるのだという。著者の引用する北米の調査では、たとえば、貧しい人々は貧困は自己責任だと思うことで、生きることが楽になるのだそうだ。また、女性は自分の能力を男性より低く評価する傾向が強い、という調査結果もある。しかもこの調査はアメリカの一流大学、エール大学での調査である。高い能力を持った女子大生でさえも、自分は男性より劣ると考えることで、男性は女性より優れているという社会通念を肯定しているのだ。
つまり、人間は現行の社会システムを肯定した方が楽に生きられるので、そのシステムがどんなに理不尽でもそれを肯定するような考え方をしてしまうのである。
現行の社会システムにある格差や不平等を肯定する心理として、著者は公正的世界観と相補的世界観の2つをあげる。公正的世界観はいわゆる因果応報のことで、不運な人や不幸な人は何か悪いことをしたに違いないという考え方。一方、相補的世界観とは、「金持ちだけど不幸である」とか、「貧乏だけど幸せ」といった、プラスとマイナスの2つの要素を結びつける考え方である。現実には「金持ちだけど不幸」とは限らず、「貧乏だけど幸せ」とも限らないが、このようにプラスとマイナスの要素を結びつけることで、人は平等の幻想を抱き、不平等な世界を受け入れる。この相補的世界観はあらゆる場面に見られるもので、しかも、公正的世界観のようないやな感じがなく、それだけに、この相補的世界観を心地よいものとして受け入れてしまい、不平等がごまかされてしまうことに気づかされる。たとえば、男女差別についても、昔は一方的に女性は劣るものとして差別されていたが、現在は女性はこういうところが男性より優れているとして女性を持ち上げた上で、男女の役割を分けてしまうという形の性差別になっているようだ。こうした相補的世界観は現状を認める方向に行ってしまうので、社会改革にはつながりにくい。
本書の後半では、日本社会の典型的な序列である学歴について、著者のリサーチをもとに、現代日本における格差・不平等問題が語られる。日本にはイギリスのような階級がなく、そのかわり学歴による階級があるが、日本人が学歴を意識するようになった1970年代には、高卒と大卒の間に経済的格差はほとんどなかったのだという。しかし、現在では学歴、特に大学名による序列が就職その他、人生のすべてを決定してしまうようになり、しかもその学歴(学校歴)は18歳のときの大学入試の結果がすべてであるという不平等を生み出している。
そうした中で、学歴が人間の心理にどのような影響を及ぼしているか、著者は中位大学の学生を対象に、彼らが自分の大学より上位の大学と下位の大学に対してどのような感情を持つかを調査・分析している。ここでも相補的世界観は健在で、「上位大学の学生は能力は高いが人間としては冷たい」、「下位大学の学生は能力は低いが人間としては暖かい」と感じる傾向が強いという結果が出ている。また、自分の大学への帰属意識が濃いか薄いかで、上位大学や下位大学への感情が変わるという点も非常に興味深い。日本では希望の大学に入学できず、しかたなく滑り止めの大学に入った学生は少なくないと思うが、「もっと上の大学に入れたはずなのに」と思っている学生の下位大学への感情にはきわめて極端な反応が出ている。
最後に著者は、「階層が固定されている社会、固定されていると信じられている社会ほど、不本意なアイデンティティを形成する人間を生み出しやすい」、「集団間の序列が固定的で変動しにくいほど、集団の構成メンバーは集団間の序列に敏感になり、不満や劣等感を抱きやすくなる」と結論づける。そして、「階層が固定されていないと信じられている社会においては(中略)集団への所属への不本意感は、階層システム自体への懐疑の表明であり、既存の構造の改変を動機づける原動力になる」。しかし、「現行の階層システムは変わらないものと信じれば、階層構造はますます固定化される方向に進む」。現在の日本がどちらであるかは言うまでもないだろう。
本書は本文が170ページほどと、研究テーマの奥を深めたものとは言えない。しかし、相補的世界観によって理不尽な不平等社会を肯定してしまう人間心理についてなど、考えさせられる部分が多い。新書のような読みやすさはないが、じっくりと向き合い、考えるきっかけとしたい本である。
(新藤純子)
BookJapan書評「日本人はなぜ「黒ブチ丸メガネ」なのか」
ヘンな日本人のルーツをたどれば太平洋戦争に行き着く
『日本人はなぜ「黒ブチ丸メガネ」なのか』
友利昴著
メディアファクトリー
ハリウッド映画をはじめとする欧米映画に登場する日本人はとにかくヘン。出っ歯に「黒ブチ丸メガネ」、やたらと写真を撮りまくる。特に、「黒ブチ丸メガネ」はどうして日本人のトレードマークになったのか?
そんな疑問を抱いた著者は、古い映画を次々とたどり、なんと、映画が誕生する以前の時代にまでさかのぼって、その理由を発見する。黒船到来の時代、日本に来た欧米人の描いた絵に登場する日本人は、誰も彼もがメガネをかけているのだ。それも、どう見てもメガネが必要とは思えない赤ん坊から馬までメガネをかけている。これはいったいどうしたことか?
どうやら、明治維新の頃、日本ではメガネが一大ブームだったらしい。欧米ではメガネ・ブームはとっくにすたれていたが、文明開化の日本ではメガネが大流行、視力に問題がない人まで、自分は教養があると見せかけるためにメガネをかけていたのだそうだ。そんな日本人を、当時の欧米人はどう見ていたのだろうか。著者は言う。
(引用)
「日本人はカッコいいと思って何をやっているんだ? いまさらメガネメガネっていう時代でもあるまい……」
おそらく、そんな冷ややかな目で見ていたのではないだろうか。先行する地域より遅れて近代化を迎えた社会が味わう、苦い宿命である。近代化を標榜していた当時の日本人が、欧米人にとってはすでに時代遅れとなっていた「メガネ礼賛」の風潮を近代化の証しととらえていたことは、あるいは滑稽に映っただろう。そんなギャップを皮肉ったのが、ビゴーやワーグマンといった風刺画家であり、そこに描かれた日本人こそが、「黒ブチ丸メガネの日本人」の源流なのである。
(引用終わり)
というわけで、「黒ブチ丸メガネ」の謎は解けたか、と思いきや、またひとつ、疑問が浮かんでくる。風刺画家の描いた日本人のメガネは、決して「黒ブチ丸メガネ」ではないのである。それはただの丸いメガネとしか描かれていない。じゃあ、いったい、「黒ブチ丸メガネ」のルーツはどこに? というところで、明治維新にまで時代を遡った著者は、ふたたび時代を下っていく。そして、ついに発見したのは、太平洋戦争の時代の大日本帝国の政治家たちの「黒ブチ丸メガネ」!
(引用)
実は政治家に限らず、この時期の日本では、全国的に黒ブチ丸メガネをかけている人が少なくなかった。いわゆる「黒ブチ丸メガネ」は、当時ロイド眼鏡と呼ばれていて、フレームの素材がセルロイドである点が特徴であった。この頃、日本は戦時下の物資不足により、メガネフレームに金属類を用いるのが困難になっていた。そのため、セルロイド製のロイド眼鏡が広く普及することとなったのである。
そして、戦況を報じるニュースによってもたらされた「日本人は黒ブチ丸メガネである」というイメージは、不幸なことに対敵国感情と結びつき、また戦時中ならではの特殊な大衆文化の中で、繰り返し強調されることとなる。どこの国のいつの戦争のときもそうだが、戦時中に創造される大衆文化は、敵国を貶め、また自国の正当性を確認するために、多かれ少なかれプロパガンダ的な性質を持つ。こうして戦時中の欧米の大衆文化には、悪意が上塗りされた黒ブチ丸メガネの日本人が大量に発生したのである。
(引用終わり)
このあと、著者は、戦時中のアメリカで作られた映画やアニメやマンガに登場する敵としての日本人の描写を紹介していく。黒ブチ丸メガネをかけたタコ怪獣とか、ポパイやドナルドダックやバッグス・バニーまで「邪悪な黒ブチ丸メガネのバーゲンセールである。黒ブチ丸メガネが鼻にかけてあれば、ヤカンだって日本人だと思われてしまうほどの勢いだ」という具合で、今となっては笑うしかない。さすがにこれらの作品群は、あまりの反日描写のために戦後は封印されているのだとか。
戦時中の対敵国感情が悪い影響を与えた例として、著者は武士道をあげる。欧米では当初、武士道は「めちゃめちゃ賛美されていた」。というのも、1900年に新渡戸稲造がアメリカで出版した『武士道』が大ウケだったからだが、「その後「武士道」はめちゃめちゃ非難された」。理由は、日本が強くなり、戦争を始めたからで、太平洋戦争の時代には、欧米では武士道は狂信的で野蛮なものとされてしまった――という具合に、著者はヘンな日本人のルーツとして、太平洋戦争時代の対敵国感情が大きな役割を果たしていると考えている。
そういう論旨であるから、最後の章(第5章)が「パール・ハーバーと原爆」なのは当然の帰結だろう。
第4章までは黒ブチ丸メガネと武士道だけでなく、外国人の好きな日本の都会のきらめくネオンサインとか、芸者と遊女を混同したゲイシャ、全然忍びの者じゃない派手で暴力的なニンジャなど、欧米人の好きなヘンな日本を抱腹絶倒のユーモアで紹介しているが、これらは戦争中の対敵国感情とはもちろん無関係。ニンジャに至っては日本企業が悪ノリしたことも指摘されている。第4章では、日本のアニメがアメリカでどういう扱いを受けているかが紹介されている。アメリカの子供を対象とした倫理規定では、『名探偵コナン』は毎回殺人事件が起きるからダメ、『セーラームーン』はエッチだからダメ、なのだそうだ。著者の筆が一番冴えているのはたぶん、この章である。
しかし、第5章になると、抱腹絶倒のユーモラスな文章は影をひそめ、真珠湾攻撃と原爆投下についての日米の感じ方、考え方の違いがまじめに論じられる。ここでも多数の映画や物語が取り上げられている。アメリカ人の多くが、原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったと考えていることはよく知られているし、それについて日本人はまったく納得できないという著者の意見には多くの人が共感するだろう。ただ、真珠湾攻撃に関していえば、これが宣戦布告をせずに(正確には布告が遅れて)行われた奇襲だということを著者が一度も書いていないのは気になった。9・11と比較されるのも、宣戦布告をしないテロ行為と認識されているからではないかと思うのだが。ただ、この点を除けば、全体としてはとても面白い読み物だ。また、欧米から見たヘンな日本人のイメージには、20世紀なかばの戦争の影響があること、戦争が日本人のイメージを大きく損なったということを指摘している点は考えさせられるものがある。ヘンな日本人は戦争だけが原因ではないけれど、日本と欧米の関係を歴史的に見ることはやはり必要なのだ。
(新藤純子)
『日本人はなぜ「黒ブチ丸メガネ」なのか』
友利昴著
メディアファクトリー
ハリウッド映画をはじめとする欧米映画に登場する日本人はとにかくヘン。出っ歯に「黒ブチ丸メガネ」、やたらと写真を撮りまくる。特に、「黒ブチ丸メガネ」はどうして日本人のトレードマークになったのか?
そんな疑問を抱いた著者は、古い映画を次々とたどり、なんと、映画が誕生する以前の時代にまでさかのぼって、その理由を発見する。黒船到来の時代、日本に来た欧米人の描いた絵に登場する日本人は、誰も彼もがメガネをかけているのだ。それも、どう見てもメガネが必要とは思えない赤ん坊から馬までメガネをかけている。これはいったいどうしたことか?
どうやら、明治維新の頃、日本ではメガネが一大ブームだったらしい。欧米ではメガネ・ブームはとっくにすたれていたが、文明開化の日本ではメガネが大流行、視力に問題がない人まで、自分は教養があると見せかけるためにメガネをかけていたのだそうだ。そんな日本人を、当時の欧米人はどう見ていたのだろうか。著者は言う。
(引用)
「日本人はカッコいいと思って何をやっているんだ? いまさらメガネメガネっていう時代でもあるまい……」
おそらく、そんな冷ややかな目で見ていたのではないだろうか。先行する地域より遅れて近代化を迎えた社会が味わう、苦い宿命である。近代化を標榜していた当時の日本人が、欧米人にとってはすでに時代遅れとなっていた「メガネ礼賛」の風潮を近代化の証しととらえていたことは、あるいは滑稽に映っただろう。そんなギャップを皮肉ったのが、ビゴーやワーグマンといった風刺画家であり、そこに描かれた日本人こそが、「黒ブチ丸メガネの日本人」の源流なのである。
(引用終わり)
というわけで、「黒ブチ丸メガネ」の謎は解けたか、と思いきや、またひとつ、疑問が浮かんでくる。風刺画家の描いた日本人のメガネは、決して「黒ブチ丸メガネ」ではないのである。それはただの丸いメガネとしか描かれていない。じゃあ、いったい、「黒ブチ丸メガネ」のルーツはどこに? というところで、明治維新にまで時代を遡った著者は、ふたたび時代を下っていく。そして、ついに発見したのは、太平洋戦争の時代の大日本帝国の政治家たちの「黒ブチ丸メガネ」!
(引用)
実は政治家に限らず、この時期の日本では、全国的に黒ブチ丸メガネをかけている人が少なくなかった。いわゆる「黒ブチ丸メガネ」は、当時ロイド眼鏡と呼ばれていて、フレームの素材がセルロイドである点が特徴であった。この頃、日本は戦時下の物資不足により、メガネフレームに金属類を用いるのが困難になっていた。そのため、セルロイド製のロイド眼鏡が広く普及することとなったのである。
そして、戦況を報じるニュースによってもたらされた「日本人は黒ブチ丸メガネである」というイメージは、不幸なことに対敵国感情と結びつき、また戦時中ならではの特殊な大衆文化の中で、繰り返し強調されることとなる。どこの国のいつの戦争のときもそうだが、戦時中に創造される大衆文化は、敵国を貶め、また自国の正当性を確認するために、多かれ少なかれプロパガンダ的な性質を持つ。こうして戦時中の欧米の大衆文化には、悪意が上塗りされた黒ブチ丸メガネの日本人が大量に発生したのである。
(引用終わり)
このあと、著者は、戦時中のアメリカで作られた映画やアニメやマンガに登場する敵としての日本人の描写を紹介していく。黒ブチ丸メガネをかけたタコ怪獣とか、ポパイやドナルドダックやバッグス・バニーまで「邪悪な黒ブチ丸メガネのバーゲンセールである。黒ブチ丸メガネが鼻にかけてあれば、ヤカンだって日本人だと思われてしまうほどの勢いだ」という具合で、今となっては笑うしかない。さすがにこれらの作品群は、あまりの反日描写のために戦後は封印されているのだとか。
戦時中の対敵国感情が悪い影響を与えた例として、著者は武士道をあげる。欧米では当初、武士道は「めちゃめちゃ賛美されていた」。というのも、1900年に新渡戸稲造がアメリカで出版した『武士道』が大ウケだったからだが、「その後「武士道」はめちゃめちゃ非難された」。理由は、日本が強くなり、戦争を始めたからで、太平洋戦争の時代には、欧米では武士道は狂信的で野蛮なものとされてしまった――という具合に、著者はヘンな日本人のルーツとして、太平洋戦争時代の対敵国感情が大きな役割を果たしていると考えている。
そういう論旨であるから、最後の章(第5章)が「パール・ハーバーと原爆」なのは当然の帰結だろう。
第4章までは黒ブチ丸メガネと武士道だけでなく、外国人の好きな日本の都会のきらめくネオンサインとか、芸者と遊女を混同したゲイシャ、全然忍びの者じゃない派手で暴力的なニンジャなど、欧米人の好きなヘンな日本を抱腹絶倒のユーモアで紹介しているが、これらは戦争中の対敵国感情とはもちろん無関係。ニンジャに至っては日本企業が悪ノリしたことも指摘されている。第4章では、日本のアニメがアメリカでどういう扱いを受けているかが紹介されている。アメリカの子供を対象とした倫理規定では、『名探偵コナン』は毎回殺人事件が起きるからダメ、『セーラームーン』はエッチだからダメ、なのだそうだ。著者の筆が一番冴えているのはたぶん、この章である。
しかし、第5章になると、抱腹絶倒のユーモラスな文章は影をひそめ、真珠湾攻撃と原爆投下についての日米の感じ方、考え方の違いがまじめに論じられる。ここでも多数の映画や物語が取り上げられている。アメリカ人の多くが、原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったと考えていることはよく知られているし、それについて日本人はまったく納得できないという著者の意見には多くの人が共感するだろう。ただ、真珠湾攻撃に関していえば、これが宣戦布告をせずに(正確には布告が遅れて)行われた奇襲だということを著者が一度も書いていないのは気になった。9・11と比較されるのも、宣戦布告をしないテロ行為と認識されているからではないかと思うのだが。ただ、この点を除けば、全体としてはとても面白い読み物だ。また、欧米から見たヘンな日本人のイメージには、20世紀なかばの戦争の影響があること、戦争が日本人のイメージを大きく損なったということを指摘している点は考えさせられるものがある。ヘンな日本人は戦争だけが原因ではないけれど、日本と欧米の関係を歴史的に見ることはやはり必要なのだ。
(新藤純子)
BookJapan書評「テルマエ・ロマエ」VI
1~3巻は大傑作、4~6巻は残念な出来
「テルマエ・ロマエ」VI
ヤマザキマリ著
エンターブレイン
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%A8VI-%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%82%AD%E3%83%9E%E3%83%AA/dp/4047288950/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1375156366&sr=1-1&keywords=%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%A8+6
「テルマエ・ロマエ」が完結した。古代ローマの浴場設計士が現代日本にタイムスリップ。日本の風呂文化に感激し、その技術やアイデアを古代ローマに持ち帰って新たな浴場を建設する、という、毎回読みきりのマンガとしてスタートし、著者も想像しなかった大ヒットになり、日本人俳優にローマ人を演じさせた映画も大ヒット、というのはすでにご存知のとおり。
その「テルマエ・ロマエ」の原作マンガ、実は第4巻から読者の間では不評を買っていた。というのも、3巻目までは上に書いたような毎回読みきりのギャグマンガで、古代ローマ人ルシウスが現代日本に来て「平たい顔族」(日本人のこと)の技術やアイデアに驚愕し、それを古代ローマで応用するという毎度おなじみだが常に新しい趣向が凝らされている傑作だったのだが、4巻目からは方向性が180度変わってしまった。
物語は長編化し、風呂文化は脇に追いやられ、もっぱらルシウスと現代日本女性さつきとのラブストーリーが中心となる。
さつきは温泉旅館に生まれ、東大大学院を出て古代ローマを研究する考古学者になったが、故郷では温泉芸者をしているという、あまりにも非現実的な設定。東大で教鞭をとっているようだが、28歳くらいなので非常勤講師であろうか? 映画で上戸彩が演じたヒロインは古代ローマが好きで、ルシウスに惚れてその勢いでラテン語を勉強した普通の女性ということになっているので、こちらの方がはるかにリアルである。
4巻目以降は温泉旅館乗っ取りの陰謀があったり、ハナコという面白い馬が登場したり、さつきのおじいさん鉄蔵(トミー・リー・ジョーンズ似で、平たい顔ではない)が活躍したりするが、どの話もその場限りのアイデアで終わっていて、長編としてのきちんとしたプロットが感じられない。
また、長編化してからは絵が雑になっているのも目につく。3巻目までは古代ローマの風景は非常に手をかけたきめ細かい描写で、逆に現代日本はあまり手をかけないラフな描写になっていて、その対比が魅力的だったのだが、ルシウスがローマにほとんど帰らなくなり、絵がふやけたものばかりになってしまった。ローマに帰っても、以前のような絵の魅力はなくなっている。
噂によれば、著者はこのマンガを長く続けるつもりはなかったが、大ヒットになってしまい、編集部の意向もあって長篇化したそうだ。また、さつきのような現代の若い日本女性は、著者がずっと海外暮らしをしていることもあり、実態がよくわからず、本当は物語に登場させたくなかったという話もある。
実際、マンガに描かれるさつきはまったく魅力がない。絵にも著者の愛情が感じられない。また、東大出の考古学者という設定にもかかわらず、さつきはおよそ現代の日本では(いや世界でも)好まれない保守的な女性なのだ。
最終巻では、ルシウスに恋したさつきの考古学の現場での公私混同が描かれ、仕事も何もかも放り出してルシウスとの恋に生き、結婚して家庭を作るという、あまりにも時代錯誤な女性描写になっている。
ルシウスを最後は幸せにしたい、というのは著者と読者の両方の願望であった。また、ハドリアヌス帝の最後を描きたいというのは著者の頭に最初からあったことらしい。最終巻ではこの2つは実現されている。しかし、そこに至るまでの後半3巻分の長篇物語がかなりいいかげんな作りなので、感動が起こらない。
長篇化し、若い女性をヒロインとして登場させる、というのは著者の意思に反することだったかもしれない。個人的には、ルシウスとハドリアヌス帝の、かすかに同性愛的なものを匂わせる主従関係が前半の魅力だと思ったので、ヒロインの登場によりそれがなくなってしまったのも、ハドリアヌス帝崩御のクライマックスの盛り上がりを損ねた一因のように思う。
(新藤純子)
「テルマエ・ロマエ」VI
ヤマザキマリ著
エンターブレイン
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%A8VI-%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%B6%E3%82%AD%E3%83%9E%E3%83%AA/dp/4047288950/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1375156366&sr=1-1&keywords=%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%A8+6
「テルマエ・ロマエ」が完結した。古代ローマの浴場設計士が現代日本にタイムスリップ。日本の風呂文化に感激し、その技術やアイデアを古代ローマに持ち帰って新たな浴場を建設する、という、毎回読みきりのマンガとしてスタートし、著者も想像しなかった大ヒットになり、日本人俳優にローマ人を演じさせた映画も大ヒット、というのはすでにご存知のとおり。
その「テルマエ・ロマエ」の原作マンガ、実は第4巻から読者の間では不評を買っていた。というのも、3巻目までは上に書いたような毎回読みきりのギャグマンガで、古代ローマ人ルシウスが現代日本に来て「平たい顔族」(日本人のこと)の技術やアイデアに驚愕し、それを古代ローマで応用するという毎度おなじみだが常に新しい趣向が凝らされている傑作だったのだが、4巻目からは方向性が180度変わってしまった。
物語は長編化し、風呂文化は脇に追いやられ、もっぱらルシウスと現代日本女性さつきとのラブストーリーが中心となる。
さつきは温泉旅館に生まれ、東大大学院を出て古代ローマを研究する考古学者になったが、故郷では温泉芸者をしているという、あまりにも非現実的な設定。東大で教鞭をとっているようだが、28歳くらいなので非常勤講師であろうか? 映画で上戸彩が演じたヒロインは古代ローマが好きで、ルシウスに惚れてその勢いでラテン語を勉強した普通の女性ということになっているので、こちらの方がはるかにリアルである。
4巻目以降は温泉旅館乗っ取りの陰謀があったり、ハナコという面白い馬が登場したり、さつきのおじいさん鉄蔵(トミー・リー・ジョーンズ似で、平たい顔ではない)が活躍したりするが、どの話もその場限りのアイデアで終わっていて、長編としてのきちんとしたプロットが感じられない。
また、長編化してからは絵が雑になっているのも目につく。3巻目までは古代ローマの風景は非常に手をかけたきめ細かい描写で、逆に現代日本はあまり手をかけないラフな描写になっていて、その対比が魅力的だったのだが、ルシウスがローマにほとんど帰らなくなり、絵がふやけたものばかりになってしまった。ローマに帰っても、以前のような絵の魅力はなくなっている。
噂によれば、著者はこのマンガを長く続けるつもりはなかったが、大ヒットになってしまい、編集部の意向もあって長篇化したそうだ。また、さつきのような現代の若い日本女性は、著者がずっと海外暮らしをしていることもあり、実態がよくわからず、本当は物語に登場させたくなかったという話もある。
実際、マンガに描かれるさつきはまったく魅力がない。絵にも著者の愛情が感じられない。また、東大出の考古学者という設定にもかかわらず、さつきはおよそ現代の日本では(いや世界でも)好まれない保守的な女性なのだ。
最終巻では、ルシウスに恋したさつきの考古学の現場での公私混同が描かれ、仕事も何もかも放り出してルシウスとの恋に生き、結婚して家庭を作るという、あまりにも時代錯誤な女性描写になっている。
ルシウスを最後は幸せにしたい、というのは著者と読者の両方の願望であった。また、ハドリアヌス帝の最後を描きたいというのは著者の頭に最初からあったことらしい。最終巻ではこの2つは実現されている。しかし、そこに至るまでの後半3巻分の長篇物語がかなりいいかげんな作りなので、感動が起こらない。
長篇化し、若い女性をヒロインとして登場させる、というのは著者の意思に反することだったかもしれない。個人的には、ルシウスとハドリアヌス帝の、かすかに同性愛的なものを匂わせる主従関係が前半の魅力だと思ったので、ヒロインの登場によりそれがなくなってしまったのも、ハドリアヌス帝崩御のクライマックスの盛り上がりを損ねた一因のように思う。
(新藤純子)
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